『保守とは横町のそば屋を守ること』
これは右傾化がすぎると爪弾きにあった
福田恆存氏の言葉だ
60年前当時の運動を批判したのだろう
重信F子が典型だが
「大義のためには多少の犠牲はやむを得ない」
という傲岸な思想を持つ運動家は確かにいる
私は直接的行動は一切反対だが
狂っているとは言え
彼らの『情』の一端、1%は理解が出来る。
『情』だからだ。
しかしカンセンタイサクのためなら
横町のそばやは潰れて当然とばかりだった
ニシウラさんはどうだろう。
彼はツイッターを見る限りは「情」の人だが
一応は科学者で「科学」を全面的に装って
我々に迫ってきた。
だから私は0.1%も共感できないのである。
何故ならその科学は開始1分で「デタラメ」と
見抜けるものだったからである。
この辺りはブログにも書いてある。
チェリーに噴飯物の有効数字。
最初に指摘したことが「接触率」
彼はこの誤解を意図的に放置して引き締め
こわばった空気を確信犯として醸成したのだ。
その後は急に数字を水増し42万人と恫喝
客観性を重んじる科学者としては
あるまじき行為なのである。
科学にも「情」は絶対に必要だが
だからと言って「情」を
入れてはいけないところもある。
データは客観的で主観を排除すべきだ。
「感染拡大を何としても防がねばならない」
情を入れまくったことから生じる
チェリーピッキングや
勝利の方程式を盲信したかのような
硬直した杜撰な数字の取り扱いは
結局は「心を忘れた科学」に繋がる。
その情は明日をなくす。
で、更に許せないことは
結局ね医原病と言う概念を広めるのは
草の根しかないわけですよ。
ところが偏った正義感を持った科学者は
科学を装いながら一刀両断に反論を
頭から切り捨ててしまうわけ。
で、萎縮した空気を作り出して
何も物も言えぬ世の中にしてしまう。
結果医療関係のヤリタイホーダイが
続くという悪循環に陥るわけですね。
西浦や宮坂や忽那はこの典型なんですね。
極めて偏った視点でしか物を見ないから
彼らが大好きな二進思考の
客観性を重視した科学ではなくって
むしろ主観的な宗教なんですね。
冷静に見なければいけないのに
一切待つことは出来ずに
直近のデータだけで常に結論を急ぐ
その場しのぎの男たち。
鎧だったはずがレインコート
こんなことを後から平気で曰うのだから
まさに姑息な自称科学者と言うべきだろう。
彼らは未だにカルト宗教と同じように
洗脳を続けていると言っても良い。
このジュバクから解き放たれないと
取り返しが付かなくなるよ。