私のアイデアは

カンセンタイサク最優先で

悉く阻まれた。

 

ただ唯一

私の勝手な意思でコッソリできたことは

父の利尿剤を減らしたことだった。

が、これに関しては散々文句を言われた。

 

1月中旬まで私は利尿剤を間引きして

与えていた。しかし訪問看護師に

利尿剤の錠数を

チェックされてしまい叱られた。

「ダメじゃないですか78さん

心不全のリスクが高まるから

処方通り与えてください」

その通りにすることにして

それから一週間して父に

異変が起こったのだ。

 

こんな事を言っても笑われるだけ。

利尿剤でそんな短期に悪影響が

現れるわけはないですよ、と。

 

ところが、夜眠れなくなるのは

明らかなのだ。

当たり前だが利尿剤は

その名の如く尿を出すことに

即効性がある。

 

・一日中観察している身としては

利尿剤の弊害は確実にある

 

・夜中20分おきにトイレ。

これじゃベッドに身体を預けては寝られない。

 

・従ってすぐに起きられるよう

上半身だけをベッドに預けて

不自然な体勢で寝ている

 

眠れないことが

譫妄に結びつく

 

・不自然な体勢故当然だが

朝身体の節々の痛みを訴えることがある

首、腰、背中、激痛らしい。

まともに歩けなくなり、明らかに不活発になる

デイサービスにいけない日もあったし

週一の訪問リハビリも出来ない日もあった。

椅子に腰掛けて頭を抱えた

状態でいることが多い。

 

・客観的にこの方が

明らかに身体に悪いだろう。

身体に大きな負担を生じ

不活発になることが

数値悪化の可能性だってある。

 

・こちらはそこまで考えて調整している

全く飲ませていない日はないし

1月中旬までそれで全く問題はなかった

 

因子をひとつと考えるの

誤っていて包括的判断を

する必要がある

 

このようなことを話しても

全く通じない。

「あ、ハイハイそうでちゅか」

とりあえず足を見てみましょうね。

随分むくんでいますねと

スマホでバシャ。

このような状態で何を

寝言言ってるんですか。

とにかく処方通り与えてくださいね。

まぁこんな言い方じゃないが

趣旨はそういうこと。

 

敬愛するケアマネさんにも話した。

残念ながら同じだった。

『私は毎日観察していますが

足のむくみと利尿剤の相関関係すら

ありません』

『今むくんでいるのは偶々』

『むしろ利尿剤でマトモに眠れず

動きが不活発になり

足をむくましている可能性すらあります』

しかし同じように足をスマホでバシャ

「これはヒドイですねぇ」

「何を言われたいのか分かりませ~ん」

と言われてしまった。

 

埒があかないのでこちらで

処方通り与えたことにしておいて

勝手に間引きした。

ここで一つ断っておくが

訪問医さんだけは物わかりの良い人で

私の言を黙って聞いて否定せず

強制しない姿勢だったので

少し味方を得た感はあった。

とても感謝している。

(※訪問医さんと訪問看護師さんは

別組織の人である)

 

利尿剤減らしは即効性がある。

明らかに眠っている状態は

通常に近くなった。

妄言も少しは減ったが

一度転がり落ちた坂道を

引き戻すまでは至らなかった。

暴走した乳母車を坂道途中で

必死に支えて被害を

食い止めているイメージ。

 

利尿剤が妄想の引金かどうかは

悪魔の証明で議論する意味がない。

しかし、足のむくみについては

結果が明らかだ。

5月以降「綺麗な足ですね」

一度も足のむくみを騒がれたことはない。

最初は薬について虚偽申告をしていたが

今は本当のことを告げても何も言われない。

利尿剤は減らしたままで

足のむくみと利尿剤の増減に

相関関係すらない

という私の当初の指摘が少なくとも

正しかったことの何よりの証明である。

 

これを『結果論』で片付けてはならない。

医療過信・医原病が深刻な問題として

横たわっているのだ。

予めこれを弁えて対処する必要がある

という一つの教訓にして欲しい。

 

「利尿剤増量」は典型的過干渉で

被るのはデメリット以外なかったわけである。

そのデメリットが何であったかは

証明することはムズカシイ。

 

だが少なくともメリットは一つもなく

何らかのデメリットを被ったと考えるのが自然。

父の場合「度を超した頻尿で眠れなくなる」のは

少なく見積もっても明らかだった。

 

「利尿剤」なのだから尿の出と

『因果関係』があることくらいは

認めてもらえるだろう。

「夜中に尿が出すぎたら、眠れなくなる」

これだって明らかだろう。

「不眠は万病のもと」

これだって普通は分かるだろう。

「アイスクリームが売れれば

溺死が増える」の『相関関係』すらない

「マスクをしないから

コロナの重症者が増える」

よりは誰が考えたって明らかだろう。

 

タイサクは施したもの勝ち

デメリットなぞたいしたこっちゃない

オモシロスとするのが医療の傲岸で

また過干渉の思考に進まぬ限り

永遠に薬害は続くであろう。

 

未だにワクチン勧奨って

一体どういう了見なのかな

 

ここ3年のコロナ騒動も全く同じ構図。

同じ誤謬・思い込みに塗れている。

「利尿剤減」=「悪」と同じく

まず「感染」=「悪」と言う概念が
こびりついているのが大問題。
感染で免疫を作るのも大事。
要は感染しても重症化させない
生活習慣が肝要。

 

カンセンタイサクは先入観で
「人との接触」のみに拘り続けた故の

大惨事

生活習慣を馬鹿にし

免疫力を弱め

却って被害を増大させる

悪循環に陥っていた可能性も

あることをいい加減検討したらどうなんだい。

 

自粛やマスクや2類指定は
「感染しても重症化させない
問題を大きくさせない」
その点において
むしろ害悪ではありませんか?
と3年前からずっと訴えているのだが
全く通じない。
我が家はついにその通りに
なってしまったわけだ

こんな簡単で自明な

理屈が通じない世の中には
もうウンザリなのである。

 

センモンカと称する、インテリでさえ

というよりも、その傲岸さ、中途半端な知性が

思い込みを加速させるのだ。

数字・ファクト・ロジック

チェリーに勤しむのではなく

せめて謙虚に歴史を振り返れ!

 

メダカヴァカのセンモンカはともかく

せめて一般は目が覚めないか。

 

 

 

我が家に起こった出来事

22年9月以降は紛れもなくコロナカンセンが

起点になっているから

陥りがちな解釈だと、

「コロナってこんなに怖いんですよ

ノーマスクの人は何を考えているんですか」

となるわけで、そのような記述をした方が

共感同情を得やすかった

のかも知れないね。

 

私はその考えはオカシイですよ

そのこわばった空気は

やがてとんだ禍根を残しますよ

ずっと3年前から書き続けてきた。

 

私は現況に陥る前に予言をしていたわけで

その通りになったに過ぎないから

やっぱり

『コロナタイサクはオカシイですよ』

と繰り返し主張しているのですよ。

 

極めて単純な記述になりますが

病気を最も悪化させる引金って

結局はストレスなのだなぁと

熟々感じましたよ。

これなら殆どの人が

ピンと来るんじゃないですか。

タイサクが様々な意味で

それに繋がっていたことも分かるでしょう。

 

巷間言われている

コロナは普通の風邪じゃない

後遺症がヒドイ

その正体も殆どの場合

結局そこに行き着くんじゃないですか。

タイサクの弊害

少なくとも我が家はそうです。

我が家の現況を「コロナ後遺症って

こんなに恐ろしいんですよ!」

と言うことは可能ですし

その資格がある悲惨な状況ですが

冷静に考えれば

絶対に違うのです。

 

分かっていただけますでしょうか。

これでもなお、

何言ってるかワケワカンネ

オモシロスなのでしょうか。

 

リアルでも我が身のコロナ罹患の件を

説明するのは非常にストレスが貯まります。

出来ればそれは避けたいくらいです。

何故ならば必ず「コロナはコワイ」と

なってしまい、私の主張と真逆に

なってしまうからです。

コロナウイルスではなく

馬鹿げたタイサクで坂道を転げ落ちたことは

絶対に理解してもらえないのです。

みんな良い方ばかりです。しかし、

西浦博の洗脳が余りにも強すぎたのです、

抜けないのも仕方がないのです、ですから

コワイのはウイルスではなく人間、

過干渉で医原病を呼ぶタイサク

であると改めて強調するのです。

 

同じ事ばかりと思われるでしょうが

認識が変らない限り事態は好転し得ない。

反乱軍としては理で訴え続ける以外

道がないのです。