8/5(土)
母、誤嚥性肺炎で入院
午前2時の緊急連絡
付き添い、父も連れ出す。
8/7(月)入院手続きのため来院
8/9(水)面会
面会はまずは一人で行くのが
無難だと考えた。
だから行けるのは
父不在の月、水、土のみ。
母は呼びかけに、はち切れんばかりの
笑顔を見せてくれた。
ただし鼻チューブ、両手はミトン。
バルタン星人状態だが
声を発することは出来ない。
酸素供給量は半分の1リットルに減り
食事も月曜から摂っているという。
幸い、回復は順調のようである。
父。以前にも記したが
誰かが亡くなったと思い込んでいる。
真夜中の病院に突如呼び出されれば
そりゃそうなるよな。
母とは会っていないのだが
コロナソードーで遺体とも会えぬ
異常な世界が続いていたから
そう思うのは極めて合理的な判断だ。
真夜中の『徘徊』がコワイから
一緒に連れて行ったと
本当のことは絶対に言えないから
今回の妄想は必然、仕方ない。
8/10、18時頃、このクソ暑いのに
黒い服を着込んで出かけようとしている。
『誰も亡くなっていないよ』
このときは私の説明に
「夢を見ていたのかなぁ」と
引き下がってはくれた。
午前1時頃
「お母さんの遺体はどこへやった」と
わたしのところへ。
冒頭でも触れたが普通ではあり得ない妄想
認知症と片付けるのは簡単だが
そう思われても仕方がない社会。
非科学なカンセンタイサク余波は
こんなところにも及ぶのだ。オモシロス。
それから1時間ほどして
新しいパソコンの購入を要求。
ZOOMで葬儀を執り行いたいようだ。
母の兄は53歳で夭折だった。
(裕次郎さんと同じ病気、1学年上
亡くなったのも1年前の夏だった
余談だが伯父の言によると
慎太郎さんは気どらずフランク
好印象だったそうである)
その時祖父は92歳。
祖父には伯父がなくなったことは
最後まで隠し通した。
父はその時嘘をつく側にいた。
伯父のことを祖父に尋ねられても
「アメリカで仕事をしていますよ」とか。
伯父は実際に海外赴任の多い人だった。
だからこちらの説明にも
一旦は引き下がってくれる。
認知症と言うが弁えもアリ
大人の対応なのだと思う。
だが多分私が何かを隠している
嘘をついていると
不安を抱き続けているのだろう。
誤解を解くために、母と会わせたいのだが
今の母と「15分」だけ会わせることには
不安がある、笑顔は瞬間は見せる
されどほとんど99%は目を閉じたまま。
5月に入院して2週間後の母に会わせた。
その日はまだ良かったが
翌日辺りから却って妄想が激化して
対処が大変だった。
それから1週間後ショートステイで
母と10分間一緒だったらしいが
より妄想が悪化した。
私が「短期間」ではなくある程度の期間
一緒にいさせる必要があると考えるのは
そのためで、だから一緒にいられる環境
今回の入所手続きを進めたわけである。
誤解は一刻も早く解いて安心はさせたい。
されどバランス、タイミングが難しい。
あと何回か私一人で面会、母の様子を見ながら
せめて鼻チューブが外れてから
申し訳ないが面会はまだ先になりそうである。
老健にいるとき元気な状態の母とは
接触禁止、未だに会わせることが出来ない。
ショートステイでさえたった10分。
翻って明らかにヤヴァイ状態、
免疫の落ちた状態の母とは会える矛盾。
この大病院のような対応が出来ない施設が
何故未だに存在するのだろう。
カンセンタイサクの温度差、その場しのぎ
オモシロス。
それにだな、どうしても
認知症の人を連れていかなければ
ならない状態って存在する。
2年半前にまるで付き添わせた
私の責任のようにされたが
今回サービスを受けていたって
連れて行かざるを得なかった。
しかし普通の対応さえあれば
健康に異常を来すまでは至らないんだ。
2年半前の対応は
どうかんがえたって異常。
何度訴えても通じないみたいだが
ご都合主義のカンセンタイサクの弊害
いい加減に気づいて総括して欲しい。
苦難は進歩・成長があってこそ報われる。
このままでは、ただただ、
悲しくて悲しくて、とてもやり切れない