因果応報でなく
身から出たさび
2021年正月アメブロのおみくじ
これは当たっているな。
母や父の介護は当然。
私は9歳で壊れた。
父はその1年前にオーバワークで倒れ
死線をさまよった。
半年くらい?の入院を経て
退院したら今度は私が壊れていた。
身体をひん曲げて痙攣している。
今じゃオムロンの低周波治療器を
安価で購入できるが
どこで調べたのか当時は高価であっただろう
治療器を父は購入してきて
私に治療を施してくれた。
随分心を痛めさせたし
配慮もいただいた
お返しは当然。
しかし私はメイワクだった^^;
何より子どもには刺激が強すぎたし
非常に悲しいことだが
父の善意に報いようという気持ちが
余計に事態を悪化させたかも知れない。
一向に良くならない私に苛立ち
つい出てしまった言葉
「震えるとコルセットで固定するぞ」
「しばりつけるぞ」
は恐怖でしかなくトラウマになった。
人間って悲しいもので
善意よりちょっとした過ちの方が残ってしまう。
それ故私は充分気をつけたつもりだったが
現況の父も当時の私と全く同じなのだろう。
おそらく半世紀前に抱かせた父の不安は
今私が抱えているそれとは
比較にならないだろう。
身から出たさび。
男子はそういうものだろうが
幼いときは母より父が好きで
ある程度の年齢を超えると
父に反発心を抱くようになる。
以前公開した写真
3歳の私はこれ以上ない笑顔。
あれだけ見ると勘違いしてしまうが
あの笑顔は母に対するものではなく
撮影者であった父に向けられたものだろう。
丁度壊れた時期が転機になっていると思うが
それまでは父が理屈抜きに大好きだった。
母について。
父は忙しいので付き添うのは母。
あらゆる治療に付き添わせた。
水泳教室のことはかつて書いた。
私もトラウマになったが
母の怒りも半端なかったと思う。
評判の良さで伺った病院も
「これは甘やかしが原因だから」
とコワイおばさんに説教されて
余計にヒドクなるという有様。
障害者施設にも行った。
「ここは貴方のような子がくるところではない」
文字にすると水泳教室と同じセリフだが
優しい口調で私も納得できた。
しかし代替案はないわけで
母は困惑していたのだと思う。
私はネットで書きながら
ストレスを発散しているが
母は不満や不安をためる一方で
大変だったと思うな。
どうやっても治らず
ともすれば悪化する息子。
今の父の状態とも通じる。
私は全部を詳らかに報告はしなかった。
父の様子を見ていると
同じ事を感じるな。
病院の担当医は優しかったが
検査医はほとんどがそうではなく
身体が制御できない自分に
苛立ちを持って接していた。
あぁしろ、こうしろと厳しくされて
出来ないから余計におかしくなって
舌打ちが出てくるような感じ
半世紀前はどこもそうだった。
私の医療不信はここに端を発していること
自体は否定しないよ。
あまりそれを書きすぎると
単なる被害妄想に捉えられてしまうから
出来るだけそうならないよう
客観的には書いているつもりだが。
母は客観的に見て人に随分尽くしてるよ。
主婦だけど社会的参加の意欲の強い
前向きな人だった。
身内の介護もそう。
北海道の義父、実の姉。
北海道に住んでいる
女性はいたが介護は不充分
実姉も息子が2人いるが奥さんは介護せず
だから母が手助けした。
そしていざ自分が衰えたとき
放置じゃあまりにも可哀想。
何だかんだ言って一番心労をかけ
恩を受けたのは自分なのだから
ある程度の負担は当然のこと。
コロナ以降余りにも不運が重なって
充分な対処が出来なかったのは残念。
でも次のステップに進めることを
心から祈って楽しみにしてるよ。
アカデミックの世界で研鑽を積んで
生き残っているニシウラさんには
それだけで敬意を表するべきだと思っているよ。
こうしてシロウトの戯れ言ではなく
オモシロスと切り捨てない
研究者になれば良かったんだ。
それをせず安易な道に走った自分
身から出たさび