アバ ウトに
★こんなん言うたら悉くコバカにされるんやけど
高2の時から祖母(母の母)の認知症(痴呆症)を
マンツーマンで付き合っていてある程度の
理解はあったし免疫もあったんだ よ
(祖父と祖母の3人暮らしをしていた)
だから母の介護をするにつけ
ちょっとした仕草、発する言葉まで
「悲しいほど親子ソックリだなぁ」って
思いながら接してきたわけ よ
その後の祖父も含めてやけど
当時満足にしてあげられなかった
罪滅ぼしは大袈裟だけれど
その感情は人より強かったと思う よ
★今回もそうだったが悪い予感は悉く当たる。
というかよく当たるつ~よりも
年寄りの老化って
想像つきやすくないですか?
しかしそれに対する
セケンの配慮って意外にないのですね。
残念だけどこれまたマスクの訴えが
何事もなくスルーされたときそう察した よ
私の認識がオカシイんでせうね、きっと。
何の権威もなきキティの
戯れ言に過ぎぬかも知れまへんが
早く2020年以前の世界に戻した方が
良いと思います よ
いくら 象牙の塔に安住しきった
あの生き物が「オモシロス」
と小馬鹿にしようが
悲鳴を挙げている人が多いのが
容易に想像が付くんです よ
こんなん言うたらまたコバカに
されてまうかもしれへんけど
ここ3年間についてだって
あの生き物の予言より
私の戯れ言の方がよほど当たってる よ
★ケアマネさんのアドバイスが現実路線。
我が家はもう元には戻れない。
今更、因果関係云々を言う意味がない。
クヤシイ限りだけど
もはや流れから逃れようがない。
父は投薬治療をして、
結局特養ってことになるんだろう。
奇跡的に改善すれば在宅も可能だが
直感としてもうダメだろう。
このままだと確かに私の負担が大きすぎる。
現時点で既に
ぶち切れるか、ノイローゼ
になっちゃう人多いんじゃない?
まぁ現世に対する失望感
希望が一切なくなって
それで消えるのも
佳しかとも思ってはいるけれどね。
母も出来れば同じ特養だといいかな。
4.30ショートステイしたのは特養。
ここならば一切交通機関を使わず
早足でちょうど徒歩15分。
私が訪れる負担も少なく
ここが一番良いのだが
父が謂れなき悪印象を抱いてしまったのが
返す返すも痛恨。
何とか忘れてくれれば良いのだが……
まぁ夫婦同じ特養に入れるとは
限らないのが現実みたいだけど
入るならどう考えたって
それが理想だ よ
★本日5.1に新しいデイサービスとの
契約なんだが、考えるだけで鬱になる。
一昨日までは楽観視しようと
自分に言い聞かせていたが
昨日の父を見たら一気に禿鬱に。
センモンカによる
今の空気に支配されたままじゃ
結局また同じ事になりそうだ よ
マスクは言うだけ無駄やし。
それと契約時に本人が家にいるんだよね。
外面が良いから契約時は黙っていると思う。
しかし契約後に、絶対すったもんだしそう。
今の父の状態じゃ
一体どう説明したら納得するのか
見当も付かないのだ よ
昨日からは全ての会話が
「お前がやれって言ったアレ」
「お前がダメだって言ったアレ」
の契約やら解約やら
全部今まで通っていたデイが絡んでいるとか
加えて文部省が監視してるとか訳分からない。
またアレが増えかねないwww
アレが何かを聞くとイライラしだして怖いし
一日中ネチネチされないのを祈るばかり
今から泣きたい気分だ よ
母のことだって心配だし
悩みが尽きない よ
★過去のことになってアレだが
1月末に異変が起きたころ
施設のリハビリについて随分
こぼしていたんだよね。
その時は妄言とは違って
「ツライ」という普通の訴えだった。
ノーマスク云々は訴えても無駄やから
連絡帳にリハビリはお休みしてください
玄関でもその旨を告げたのに
通常通りリハビリしていたって
こともあったんだ よ
★色々厭世モードだが
センモンカの責任は追及したい。
何と言われようが
これは紛うことなき
『タイサク後遺症』だ よ
悲劇を二度と繰り返さないためにも。
マスクで排除を受けた
2年前の悔しさは一生忘れない。
結局一緒の外出は最後となったが
あの時の母の表情、言葉も
一生忘れない。
二度とあんな馬鹿げたことは
あって欲しくない よ
でも私が肩肘張らんでも
おそらく私が消えてしまう頃には
タイサクがほぼ無意味であったこと、
タイサクの弊害
自粛、マスク、ワクチンの弊害
自粛と認知症、マスクと認知症
マスクと肺炎の関係も
明らかになっているはずだ。
未曾有の幼児虐待・老人虐待が
行われていたとの反省も出るだろう
あの生き物の「オモシロス」などは
木っ端微塵になってるだろう よ
未来は絶対にそうなるんだから
もうそれでもいいかって
今はもう白旗をあげる心境だ よ
それと何度でも繰り返して書くが
『危機において寛容性がなくなると、
社会的排除の方向に社会が向きがちになる』
今回の件はシッカリ反省して欲しい。
一つのことに血眼になるのは構わないが
あるとき立ち止まって冷静に振り返れないか。
今回で言えばタイサクに適合できない人
これに傘を差し伸べる優しさ・
余裕がある社会になって欲しいな。
こんなクソブログは何の証拠にもならぬが
その頃残っていて
一人の目にでも触れれば
少しは救われる よ