父のゴミ部屋の片付けをしていたら

田淵のサインボールが出てきた

……そんな夢を見てしまった。

 

突拍子もないお話ではあるが

実はあながち

あり得ないことでもない。

少なくとも48年前までは、

いや、おそらくもっと後になるまで

田淵の直筆サインボールが

父の部屋のどこかに

飾られていたのは

事実なのだから。

 

48年前、田淵幸一さんが

王貞治選手を破り

念願のホームラン王に初めて輝いた

その前年のことだ。

 

今、住んでいる団地は

母の姉とその旦那さんの家

伯父が亡くなって

18年前に両親が引き継いだ。

今の父の部屋は

伯父の書斎だったんですね。

 

山田雅人さんの ひとりかたりに

「田淵涙のホームラン」

というのがあった。

がんで闘病中だった

父親の訃報を知った田淵選手が

父の故郷岡山で

ホームランを放った後

即東京の大学病院へ

駆けつけたって内容。

 

もう時効だから良いだろう。

伯父はその大学病院の先生

田淵さんのお父上の

主治医だったそうで

その縁で田淵さんの

ご家族と面識が出来

サインボールが書斎に長いこと

大事に飾られていたらしい。

 

そのことを知ったのは

伯父が亡くなる少し前

伯母のお話、母の口を経てだった。

山田雅人さんが語る

田淵さんのエピソードは

少年向け野球名鑑にも載っていて

(水島新司先生のマンガ

だったかも知れない)

私もずっと印象に残っていたから

これを聞いたとき本当にビックリした。

まさか関係者だったなんて。

 

この時点でもう既に

田淵のサインボールの

行方は分からなかった。

直筆、マジック、よほど丁寧な扱い

特別な保管でもしない限り

褪せてしまう。

おそらく自然にそうなって

断捨離されていたのだろう。

 

プロ野球にはまったキッカケ

私にとってはいわば現人神である

田淵幸一さんのサインボール。

伯父が引っ越す以前、

まだ田淵のサインボールがなかった頃、

電車で10分、徒歩も含め30分弱だったので

頻繁に交流があった。

しかし、伯父母がこの団地に越してからは

一切訪れたことはなく疎遠になっていた。

私がNPBに熱狂的にはまったのは

伯父が引っ越した後のこと。

 

もし、私が獣偏としんにょうがつくほどの

田淵ファンであることが伝わっていたら

一体どうなっていたんだろう。

 

実は同時期、私の子ども部屋に

長嶋の直筆サインボールならあった。

もう一人の伯父、母の兄のツテで

手元にあったのだが

私にとっては無価値

飾ると言うよりも普通のボール扱い、

時には硬球を握りながら、

臨場感を抱きながら

タイガース中継を見ていたので

あっという間に

サインは褪せてしまった。

 

今でも、かつてこの家のどこかに

憧れの宝物があったんだよな

と不思議な気分になることがある。

田淵のサインボールだったら

一体どうなっていたんだろうか。

やっぱり同じように

褪せていたんだろうか。

 

物って身近なところにあっても

本当に欲する人の目には

意外に触れないもんなんですね。

 

サインの痕跡が全く消えたボールでも

出来ればずっと飾っていたかった……

 

憧れの田淵幸一さん、本日にて喜寿

おめでとうございます

そんなわけでageてみました