長すぎたかな。
あくまでも私感を端的に。
自分は勉強でもそれ以外でも
キョーソーしてるって
認識自体全くなかったな。
当時はツメコミと批判された時代だが
要するに勉強はアレな一方で
体育に関しては
突出して論外だったから。
でも意欲はあった。
つまりキョーソー以前のチャンスを
イジメと排除で奪うなって事。
この配慮に余りにも欠けているんじゃないか。
昨今の騒動を見ているとそれを強く感じる。
キョーソーは一部の子どもにはメリットがある。
しかし子どもの
マスクとワクチンって一体誰得なんですか?
分かりやすく教えて欲しいです。
ついでに、書いちゃうとw
論外でダメダメなこと
人にとっては当たり前のことでも
少しでも克服したときの喜びって
何よりも勝るんだよ。
人から見たら、10メートル離されたビリが
5メートルのビリに縮まっただけ。
それでも得意なことで一等を取るより
よっぽどウレシイんだ。
しかし、この感覚は何でも出来る
スーパーマン、エリートには
全く理解できないんだよな^^;
つまり上に行くに従い
『そんなの当然じゃん』となって
「小さな優しさ」が失われるって事。
子どもに対するマスクって
まさに同じなんじゃないかな。
教育で最も大事なのは
多角的に物を見る習慣を
身につけさせること。
申し訳ないが、
今の教育システム自体が限界じゃないのか。
ABC予想の望月新一教授の言葉を借りれば
『マクロ対ミクロ落差』
「個人」対「社会=集団=群れ」
に十分対応できないのではということです。
まだ言葉を借ります。
社会が個人の尊さや資質の実態と乖離した、
不適切に「狭い」基準・物差しに拘ることによって
逆に社会全体にとっての大きな損失や
様々な形の「貧困」を生じているという構図。
宇宙際タイヒミュラー理論に則れば
「単解的構造」対「正則構造」ということに
なるそうです。なんのこっちゃ^^;
現在の「集団」教育システム自体が
抑もこれに丸っきり当てはまる構造
ではないかと感じるのです。
どう工夫努力したところで
結局、視野狭窄的な「常識」を押しつけているに
過ぎないのではないかと。
である以上
この枠組みからはみ出てしまい
そのままでは才能が有効に活かせない
人材は潜在的に数多いると思われます。
彼らが自力で立ち上がる機会を得る前に
二度と立ち上がれなくなるほど
疲弊させてしまったり、
貴重な時間を無駄なトラブル回避のために
費やさせては絶対にはならない、
これが最も肝要な課題と考えます。
簡単に言います。
くだらない規則を押しつけるな
マスクを外させよ! です。
短くするつもりがまた長くなっちゃったw