さらさらと過去記事age

左矢印

2022年3月30日

 

これは2017年に書かれた

ダイアモンドオンラインの記事です。

今まさに起こっていること。

 

理解できないものはいじらないでおこう、というのが本書の考えだ。だが困ったことに、世の中にはそれとまったく逆の連中がいる。本書で「フラジリスタ」と呼んでいるのがその種の連中だ。」

 

医療のフラジリスタは、人体に備わる自然治癒能力を否定して過剰に医療介入し、とても重い副作用があるかもしれない薬を平気で処方する。

~一部引用

 

※フラジリスタ、fragility=脆弱をもとに

ナシム・ニコラス・タレブが考え出した造語

脆弱さを煽り干渉し、むしろ脆弱さを

拡大させてしまう勢力のこと

 

待つのも科学だと繰り返しました。

数学者タレブの言葉を借りれば

分かったふりをするのは最も危険で

理解出来ないものはいじらない。

差し迫った未曾有の危機でもあったのなら

いじるのもやむを得なかったですが

危機自体が妄想に過ぎぬ事は、

一次情報をチェックすれば明らかで、

過度に煽る空気が存在したに

過ぎなかったことは繰り返し

何度も指摘してきました。

 

過剰介入はよからぬ結果をもたらします。

何度でも繰り返します。

『不自由』に目くじらを

立てるのは止めましょう。

 

以下過去記事を少しだけ書き直しました。

 

最近、引っかかることがある。

今回は軽度の障害について、

ちょっと感じたこと。

 

 障害者って何だろう?

 障害者と言われる人たち自らが、

障害があるって端から

認識しているものなのか

 おそらく最初は漠然と、

言葉では旨く説明できないけれど、

人と同じ事が出来ないよなぁ……

という違和感の認識から

始まるのではないか。

これを敢えて不自由と表現してみます。

 

 つまり障害と言う概念自体、今ある社会からの一方的な押しつけ、もっと言えば洗脳に近いものではないかという気がするのです。自分で認識した「不自由」の段階では、社会からもっと急げよとか、何でそんなことが出来ないのとか、無理矢理な適合を求められない限り、本人からすれば何の問題もない、ちょっとした工夫で切り抜けられる場合もあるのではないか。

 

 これは不自由を抱えた側も同じです、

社会への一方的な強要は

軋轢を生む事だってあります。

互いに一方的な価値観を

無理強いしない、

思いやりのある社会。

抜本的に認識を変える必要性を感じます。

 

 不自由と障害とは違います。

不自由はその人の個性、

障害は社会が作り出した物理的・心理的な壁

と捉えることは出来ないでしょうか。

 

 確かに枠組みを変えるのに政治の力は必要で、政府の対応には不安を感じます。ですがその前に私を含めた、個人個人の意識を変えることはもっと重要かと思います。私はコロナ以降、これをより強く感じるようになりました。

 

 コロナはエボラのような

伝染病では決してありません。

相変わらずマスコミはリスクを毎日誇張し続け、恐怖感を植え付けています。

しかし、闇雲に排除しようとする姿勢、それが生み出すこわばった空気の方が余程キケンです。

 

 ちょっとした不自由なら受け入れましょう。
むしろ appreciate

「当然のことと評価」しましょう。

排除したりムリヤリ直すのではなく

共存しましょう。

 

日本人にとって社会=『公共』とは
「みなと同じ事をすること」になりがちです。
価値があることか、正しいことかは二の次。

とにかく他人様と一緒、空気が一番大事。

 

でもそれは違うと思うのです。

『公共』とは今流行の言葉
「ダイバーシティ」多様性を認めることです。

公共だからこそ、多様な人、多種な考えが

存在するのです。

有無を言わせず皆が同じ事をする

同じ事をさせるのは真逆な行為なのです。

 

これをつきつめてしまうと
結局は同じ事が出来ない者は
『徹底批難・排除あるいは
ムリヤリ適合させるのが正義』となり
この思想がイジメや差別に行き着きます。

 

まさに今起こっていることではありませんか?

さぁ、今こそ発想の転換をしましょう。
 

 カジョウタイサクほど

世間を腐らすものはありません。
これを『石橋を叩きすぎて壊す』

とも言いますw

 

 人間誰しもが特異な能力あるいは

生物学的に備えられた

素晴らしき身体的機序(免疫機構とか)

例えるなら「石橋」があります。

これを石橋を叩きながら、慎重に鍛えて

発育を促すのが本当です。

 

タレブの造語だと反脆弱性(anti-fragile)

昔からある日本の格言に準えれば

「雨降って地固まる」でしょうか。

不自由を消すのではなくむしろ活かすのです。

 

しかし現況は 強者側の一方的な「べき論」で

『不自由』と決めつけたものを

徹底的にたたき壊そうとヒステリックに

います。

結果せっかくの長所まで消してしまうのです。

これが『障害』です。

抗原原罪もそのうちの一つかも知れません。

過度な干渉、タイサクほど愚かなものは

ないのです。

 

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取るに足らないゆらぎをつつき

針小棒大に煽り社会を不安定に導き

濡れ手で粟の利得を搾取する大悪人

フラジリスタが多すぎやしませんか。

 

何も悪人は マフィアやショッカーや

貴方が気に食わずに攻撃対象にしている

人や組織だけではないのです。

正義の味方のつもりでも

ある程度の思慮を伴わない

ヒステリーに支配された行為でそれ以上の

大悪人になってしまいかねないのが

この世の難しいところなのです。

 

気に食わない人や組織

を攻撃するのではなく

行為そのものに焦点を当てましょう

リベラルの皆さん、胸に手を当てて

みるんだってば

 
2023年2月編集後記
 
 
さらさら流されるのが『公共』
とにかく勝手に決めつけた「空気」
ルールで皆を従わせること
科学的云々はカンケーナッシング。
 
だから長時間『マスクが出来ない』
不自由を抱えた人間を
嘲り笑って長時間外に
放置しても全く心が痛まない。
どんな被害を受けようが
因果関係は立証できないから無問題
何を訴えたってマスコミさえ騒がなきゃ
世間は華麗にスルー。
聞く耳なんかないから恐れることはない。
 
社会にとってバイ菌と一緒
くらいの認識なんだろう。
産まれたときから延々と続くえんがちょ
 
確かに2021年途中までは
世界中で大騒ぎしていた。
とは言っても深刻だった他国と比べ
被害は20分の1だった。
他が騒ぐのを止めた2022年春以降も騒ぎ続け
コロナ以外の被害拡大
挙げ句コロナそのものですら世界一
日本独自の現象
言ってよい状況になっちゃった。
せめて2022年春で
止めておけば(T_T)
 
私ら少数派がいくら指摘してもダメ。
一次情報を見ずに、マスコミに洗脳された世間
フラジリスタと何を言っても変わらない人たち
タイサク差別に苦しんでいる
本当の被害者に心を向けない社会
ただのパニックごっこに乗じて
高所から他人を攻撃するばかりで
無自覚に空気を助長している人たちに
苛立ちを覚える日々だった。
 
確かに空気の根拠となった
権威は鼻持ちならない
様気取りのエリートで
一見「堅牢な理論の鎧」をまとっているように
見え、反論しづらいかも知れません。
哲学を持ってつつきさえすれば 
道を転げ落ちるのも
速いのかも知れませんヨwww
 
のフラジリスタの害を最も被りやすいど
より空気に支配される国家日本。
されるがまま巨悪には目を向けず
 
々空気のみで些細な事で人を叩くのが
当に飽きない国日本。
ぃすとぴあに、現在猪突
うしん中なんじゃないか。
変憂慮すべきだが空気国家変わり様ない
っかり「オラこんな国ヤダ~」このままじゃ
っちりメド立てば日本脱出しかない。残念
が力及ばず両親救えなかった。私だけなら
けいな干渉されず気儘に生きられるんだば
下矢印