上記リンクは2017年に掲載された
ダイアモンドオンラインの記事です。
コロナソードー以前から
このような考えは存在しているのですが
これを闇雲にコバカにして
良いものでしょうか?
今まさに目の前で
起こっていることです。
『理解できないものはいじらないでおこう、というのが本書の考えだ。だが困ったことに、世の中にはそれとまったく逆の連中がいる。本書で「フラジリスタ」と呼んでいるのがその種の連中だ。』
『医療のフラジリスタは、人体に備わる自然治癒能力を否定して過剰に医療介入し、とても重い副作用があるかもしれない薬を平気で処方する。』
~一部引用
※フラジリスタ
fragility=脆弱 をもとに
ナシム・ニコラス・タレブが
考え出した造語
脆弱さを煽り干渉し、
むしろ脆弱さを
拡大させてしまう勢力のこと
待つのも科学だと繰り返しました。
数学者タレブの言葉を借りれば
分かったふりをするのは最も危険で
理解出来ないものはいじらない。
差し迫った未曾有の危機でもあったのなら
いじるのもやむを得ないかも知れない
が、危機自体が妄想に過ぎぬ事は、
一次情報をチェックすれば明らかで、
過度に煽る空気が存在したに
過ぎなかったことは繰り返し
何度も指摘してきました。
過剰介入はよからぬ結果をもたらします。
何度でも繰り返します。
『不自由』に目くじらを
立てるのは止めましょう。
以下過去記事を少しだけ書き直しました。
最近、引っかかることがある。
今回は軽度の障害について、
ちょっと感じたこと。
障害者って何だろう?
障害者と言われる人たち自らが、
障害があるって端から
認識しているものなのか。
おそらく最初は漠然と、
言葉では旨く説明できないけれど、
人と同じ事が出来ないよなぁ……
という違和感の認識から
始まるのではないか。
これを敢えて不自由と表現してみます。
つまり障害と言う概念自体、今ある社会からの一方的な押しつけ、もっと言えば洗脳に近いものではないかという気がするのです。自分で認識した「不自由」の段階では、社会からもっと急げよとか、何でそんなことが出来ないのとか、無理矢理な適合を求められない限り、本人からすれば何の問題もない、ちょっとした工夫で切り抜けられる場合もあるのではないか。
これは不自由を抱えた側も同じです、
社会への一方的な強要は
軋轢を生む事だってあります。
互いに一方的な価値観を
無理強いしない、
思いやりのある社会。
抜本的に認識を変える必要性を感じます。
不自由と障害とは違います。
不自由はその人の個性、
障害は社会が作り出した物理的・心理的な壁
と捉えることは出来ないでしょうか。
確かに枠組みを変えるのに政治の力は必要で、政府の対応には不安を感じます。ですがその前に私を含めた、個人個人の意識を変えることはもっと重要かと思います。私はコロナ以降、これをより強く感じるようになりました。
COVID19は人類を滅ぼすような
ウイルスでは決してありません。
にも拘わらず相変わらずマスコミはリスクを毎日誇張し続け、恐怖感を植え付けています。
しかし、闇雲に排除しようとする姿勢、それが生み出すこわばった空気の方が余程キケンなのです。
ちょっとした不自由なら受け入れましょう。
むしろ appreciate
「当然のことと評価」しましょう。
排除したりムリヤリ直すのではなく
共存しましょう。
日本人にとって社会=『公共』とは
「みなと同じ事をすること」になりがちです。
価値があることか、正しいことかは二の次。
とにかく他人様と一緒、空気が一番大事。
でもそれは違うと思うのです。
『公共』とは今流行の言葉
「ダイバーシティ」多様性を認めることです。
公共だからこそ、多様な人、多種な考えが
存在するのです。
有無を言わせず皆が同じ事をする
同じ事をさせるのは真逆な行為なのです。
これをつきつめてしまうと
結局は同じ事が出来ない者
例えばマスクが出来ない者は
『徹底批難・排除あるいは
ムリヤリ適合させるのが正義』となり
この思想がイジメや差別に行き着きます。
まさに今起こっていることではありませんか?
さぁ、今こそ発想の転換をしましょう。
カジョウタイサクほど
世間を腐らすものはありません。
これを『石橋を叩きすぎて壊す』
とも言いますw
人間誰しもが特異な能力あるいは
生物学的に備えられた
素晴らしき身体的機序(免疫機構とか)
例えるなら「石橋」があります。
これを石橋を叩きながら、慎重に鍛えて
発育を促すのが本当です。
タレブの造語だと
反脆弱性(anti-fragile)
昔からある日本の格言に準えれば
「雨降って地固まる」でしょうか。
不自由を消すのではなく
むしろ活かすのです。
しかし現況は 強者側の一方的な「べき論」で
『不自由』と決めつけたものを
徹底的にたたき壊そうとヒステリックに
目の色を変えています。
結果せっかくの長所まで消してしまうのです。
これが『障害』です。
抗原原罪もそのうちの一つかも知れません。
過度な干渉、タイサクほど愚かなものは
ないのです。
この人は悪いなあ、と思った人は?
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取るに足らないゆらぎをつつき
針小棒大に煽り社会を不安定に導き
濡れ手で粟の利得を搾取する大悪人
フラジリスタが多すぎやしませんか。
いや決して意図的な
大悪人ばかりではないでしょう。
むしろ善人過ぎる善人が
過干渉という陥穽に陥り
無自覚なフラジリスタと
なっている場合が多いかも知れません。
何も敵は マフィアやショッカーや
貴方が気に食わずに攻撃対象にしている
人や組織だけではないのです。
正義の味方のつもりでも
ある程度の思慮を伴わない
ヒステリーに支配された行為でそれ以上の
大悪人になってしまいかねないのが
この世の難しいところなのです。
気に食わない人や組織
を攻撃するのではなく
行為そのものに焦点を当てましょう
リベラルの皆さん、胸に手を当てて
みるんだってば
