母にはいっぱい悪いことした
後悔先に立たず
結局恩返しという名の偽善
それさえ出来なかった……

現社会の矛盾
アピールは充分にした
それでも所詮ピエロで
ほとんど通じなかった。

父母のことは確かにある
しかしそれ以上に鬱なのは
あれは近未来の自分ということ

それもおそらく

年齢差の30年後とかでない
もっと差し迫った時期。

母があれだけ介護を背負い
ボランティアで人に尽くしても
我が身になった時全く報われなかった。


私にはそれこそ誰もいない
なわとび、水泳、昔からそうだった。

手を貸す人などいない。


更にイヤケが差したのは

半世紀を経た
「ノーマスク排除」でも
まったく同じだったってこと。
辺りは引きつり笑いを浮かべるだけ
あるいは説教口調で追い出すだけ。


あの状況で私に気遣いを見せたのは
普段トンチンカンな認知症の母だけ

追い返されて大きな荷物を抱え

困惑しながら行ったり来たりの私に

『荷物を持ちましょうか』

と言ったのは母だけ。
半世紀後のデジャヴ アゲイン
まさか、が現実であったってこと。
 

メンドークサイ

あるいは事が起きたら困る

だから、まず隔離、排除……

そんな事はないはずと

今でも信じているのだが

現実と照合すりゃお花畑

 

自分は両親以上に扱いに困るはず

受診は昭和が最後、以降一切なし

これまでの人生、入院履歴一切なし

歯科は小一が最後。

症状もないのに健康診断で

ムリヤリいかされて削られた

成人前につめものはほとんど取れ

奥歯がえぐれていて残念

これは一生の悔い。

高一の健康診断で虫歯数本の診断で

歯科医に行くよう指示されたが無視

以降40年以上何ともない。

 

そういやアトピー

健康診断でムリヤリ通院

薬は一切効かなかった。

まったくのムダ

薬の臭いは今でも覚えてるw

手足関節や手首、うなじが

半魚人状態で

かゆくて仕方なかったが

他の不自由に比べれば

些細な事であった。

高校入学と同時に

こっちは自然治癒した。

 

不自由に対する薬漬けも

副作用だけ、一切効果なし。

気になって今

当時けっこう長期服用した

「Lドーパ」の後遺症を調べたら

ジスキネジア(不随意運動)だって。

え~!?

半世紀後の発見、すげービク~リ。

自分が永年悩まされ続けてる

痙攣って

もしかしたら薬害が発端だったの?

長いこと混同してたが

最初の受診は「自由に動かない」

それに対するヒステリックな指示で

「日常に支障を来す」

ようになったことだけど

痙攣じゃなかった。

後から出た症状。

今更言ったって、知らんけどw

 

まぁ豚煮も角煮も

アトピーと不自由を除けば

病院の診察って人生で

10回ないだろう。

仮面ライダーごっこで

友だちはほとんど病院行きだったがw

私はもっと高所からとびおりても

擦り傷くらいで平気だった。

以降は不自由で本格的スポーツの

参加が出来なかったためか

外科には縁がなし。

カゼの診察は

小学低学年の扁桃腺だけ

あとは症状あっても休養のみ。

 

このまま病院や施設に縁がなく

自力で頑張れれば

まだまだ継続したいが

自信がなくなってきた

 

病院で過ごすことなんて

全く想像が出来ない。

絶対イヤだ

不自由に対する診察の

トラウマがデカすぎる。

もう詰んでいる……

 

検査、どう動いて良いのかも分からず

叱られながらペコペコ受けて

生き延びたいとは思わない

まっぴらごめんだ。

 

不謹慎な例えだが

半世紀逃亡した

うっちーみたいな最期が理想。

いや、彼奴は搬送後数日で逝ったが

サタンは病院に運ばれる前に

エレガントに消えるのが目標。