それについて書きたいと思います^^
注:サイクルヒット 三塁打で王手をかけたところ、近本選手は左中間を破ったものの、通常なら二塁止まりの打球、パリーグの野手陣があえて、打球処理を遅くし、近本の三塁到達をアシストしたようにも見えたプレーの賛否。
まずは昔話にお付き合いください^^;
また「見ていました」って話で申し訳ないですが
78年オールスター第3試合、後楽園球場
この試合もライトスタンドにいました。
で、掛布選手の3連発もそうなんだけれど
もう一つ印象に残ったプレーがあるんですよ。
ランニングホームラン !!!!
でもこれには伏線があるんです。
当時オールスターは3戦行われていて、その2戦目パリーグは何と9盗塁もしているんだけど、全てキャッチャーは田淵幸一さん。
堀内・田淵のバッテリーで福本豊さんを完全に封じたのは昔の話、このときは見ているのがつらかった。
福本さんが「あれが、プロのキャッチャーかいなぁ」と言ったとか言わなかったとか。
そんな状態だったので、長嶋監督が配慮して3戦目は、何と!
ファースト田淵、ライト王
という布陣を引いたのです。
藤原選手が放ったのは
私には普通のゴロに見えたんですが
コロコロっと転がってきた決して強くは
思えなかったその打球を
田淵一塁手が緩慢な動きで後ろにそらし、
更に、、、
不慣れな王右翼手がクッション処理を
誤ったんですね。
長嶋監督の田淵選手への配慮から
端を発した、2つの偶然が
あのせま~い後楽園球場での
ランニングホームランを呼び込んだわけです。
誰だったかは失念したけれど
「そこまでして田淵を起用するべきではない」
って怒っている解説者もいましたね。
近本選手の三塁打絡みの賛否を見ていて
それを思い出しました。
ランニングホームランは勿論、そもそも三塁打も
記録に残らない拙守が絡みやすいもの。
公式戦ではなく、
お祭りのオールスター
苦笑いも含めて、ファンが長いこと
プレーを語り継げれば
私も未だに愉快な気持ちで、
田淵・王両選手の拙守、
間隙を突く藤原選手の激走を
昨日のことのように思い起こせますし^^
これに目くじらを立てる物書きさんは
9年前優勝争いの真っ只中、公式戦
極めて破廉恥な記録作りが
連日行われていた事に
一体どう対応されていたのでしょうか。
村社会のなれ合い、非スポーツ的で見苦しいとまで
批判するなら断然アレでしょうが、
そんなのはついぞ見かけせんでしたよ。
批判出来なかった事こそが村社会でしょうに ![]()
これについては、どこかに書いてあります。
私は記録ヲタで記録にはキビシイファンです。
著しくバランスを欠く批判をする物書きには
違和感以外ないのです。
それはさておき、
また余談になりますけど、私の真後ろの席に、東京では珍しいクラウンライターライオンズ帽を被った2人の少年がいました。
彼らは、ある売り出し中の若手選手の話を1回表からひっきりなしに続け、首を長くして出番を待ち続けていました。
最後の最後、9回裏になってやっと代走で出てきた姿を見て、欣喜雀躍。
その選手こそが真弓明信さん。
まさか4ヶ月後に田淵選手とトレードされ、後にタイガース優勝の立役者となり、監督まで務めることになろうとは、想像も付きませんでした。
東京での思い出は?
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