『このままじゃ息子さんもダメになる』
手術を受けた家人が最初に入院したとき、
私の介護状況を説明した際に言われた。
客観的に見て善意で心配されたのは分かる。
しかし……
我が家の喫緊の課題は「徘徊阻止」だった。
徘徊をしてしまった後は、地域の協力を仰ぐ必要もあるが、徘徊そのものは私が防ぐ以外手がないのだ。
地域包括支援センターの見守りサービスは、事前登録が必要。なおかつ医師の診断もいる。この「医師の診断」というのがどうしても引っかかった。優先順位は徘徊阻止>>>……>>>徘徊後の対策、こちらの工夫で、徘徊阻止は出来るという判断で、それに細心の注意を払い、これまで来たわけだ。
再三指摘したが、コロナ騒動が対応を厄介にさせたのは疑うべくもない。が、傍からどう映ろうが楽しみながらこなしていたのだ。
冒頭の言葉があった後で、理不尽な5時間すっぽかしがあったから余計に悲しかったのだ。言い訳ばかり。搬送遅れの連絡をする時間は充分にあったはずなのに。その後の配慮も一切なしで、ほったらかし。ダメになるとまで言われるのだったら、時間くらい厳守して欲しかった。極めて単純な事、こちらは何も無茶な要求をしているわけではない、上から目線の言葉はいらない。
今回不幸だったのは、私自身が不自由を抱えてたってこともあるかも知れない。でも、これもしつこいけれど、不自由は理不尽な要求がなければ障害には変わらず、乗り越えられるんだけどね。
ここのところ連日医療関係者と接している。マスクには必要以上に気を遣う。今日も一瞬の鼻出しマスクを注意されてしまった。そりゃそうだよな、患者はうちだけではない。多くの患者を扱う使命がある以上、神経を使うのは当然なのだ。マスクを非科学と考えるお医者さんはいるはずだが、そこまで条件を絞って探すことは出来ない。
鼻出しマスクと、詰め襟のホック外し、悪夢再び。
重荷になること、不自由は人ぞれぞれだ。私の常識は世間の非常識^^;
恐れ多くもお言葉をお返しすれば、コロナ対策、このままじゃ、みんながダメになると思うのでありますが。
マスク圧は徘徊阻止より余程疲れるよ。これまでは避けながら過ごしてきたが、今後は難しいのかも知れぬ。本当にダメになっちゃいそうだ。
これまで私にとっての負担は、コロナ報道・対策でこわばった空気>>>>……>>>介護だった。今後は更に複雑化しそうだ^^;