youtubeを見ていたら、この動画がおすすめに上がっていました。
川藤幸三さんのお話は非常に面白い。
タイガースの歴史の語り部として素晴らしい ![]()
しかし、ことご自身のことについては、ダメっぷりを誇大に脚色されていて、事実と異なる場合も多いのです。
この動画に出てくるテロップは彼の言かどうかはハッキリしませんが、いかにも川藤さんが仰りそうです
これも彼のお人柄なので、私はいつもそれを含めて楽しんでいるのですが、今回はヤボを承知で私の記憶を書いてみたくなりました。
この試合は81年5月30日(土)の横浜球場のデーゲームだったはずです。
私は例によってレフトスタンドで観戦していたのです。
『だ~れも守る者がおらんようになって』という、独特の川藤節ですが、実は違うのです。
彼の出番は意外に早く、3回表にやって来ました。
この日四番右翼で出場していたD.オルト選手が、守備中に故障をしたらしく、たった1打席で交代、ピンチヒッターで登場したのでした。この日はレギュラーの佐野仙好外野手が不調でスタメンを外れており、彼が出てくるのが相応しいと思われたのですが、中西太監督は川藤選手を抜擢したのです。その後そのままライトの守備についたので、実質川藤幸三選手が四番打者となった世にも珍しいゲームだったのです。
で、この試合四番川藤は、四番打者として素晴らしい活躍をしました。1対1のタイスコアで迎えた10回表、2年後に同僚となる先発の野村収投手から、左翼線へ決勝の2点タイムリーツーベースを放ちました。
この珍プレーはその裏の出来事だったと思います。前年80年はラインバックや竹之内雅史選手の代走や備固めで起用されることも多かったので、この珍プレーはむしろ意外でした。7回裏からライトからレフトに移ったこと、それと横浜の薄暮ゲームって意外に飛球が見づらいのでしょうか、何度かこの種のプレーを見たことがあります。ファンに散々なじられましたが、20年デーゲーム代走島田海吏の走塁ミスもありましたね。
三塁打を放ったのがまた4年後に同僚となる長崎慶一選手だというのも因縁を感じます。これがキッカケで1点は失いましたが、この試合のヒーローは、紛れもなく四番川藤だったのです。
前年からの北村照文、そして81年は吉竹春樹外野手の擡頭により、後半めっきり守備機会は減ったものの、まだそこそこ守ることが出来ており、81年オフに行われたロイヤルズとの親善試合(阪神巨人連合軍)、右翼を守った川藤さんは、ライト前ヒットで2塁から本塁に帰らんとするロイヤルズの走者を、見事なバックホームで刺しております。
川藤幸三選手が春団治と呼ばれる以前、代打男として脚光を浴びる前の事もチョコっと書いています。


