最近バス乗った?
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私はマスク着用の試験自体にビックリ、馬鹿げているし、ましてや鼻出しで失格とは、理不尽で科学的ではないと考える立場だが、それは今回は置いておく。
問題は記事の中にある「特別な理由を申請していないのに」鼻を出していた、と言う部分である。
ここをやり玉に挙げ、なおかつ7回目の警告で失格になったのだから、自業自得だという意見であふれている。お説ごもっとも
しかし「申請しても」認められなかった可能性ってないのだろうか?
私事で恐縮だが、何故中学で音楽が大嫌いになったか。合唱が拷問に近く、二度とご免と思ったからである。
私は9歳でぶっ壊れて、身体の制御が思うように出来なくなった。それで大学病院にも行ったが病名はつかなかった。このことが色々と軋轢を生んだ。春の健康診断や記念撮影では自分のせいでいちいち進行が止まるし、肩身が狭い思いをさせられた。私自信、きちんと前を向いているつもりだし震えているつもりもないのだが、相手が怒り問題視するのだから不自由は障害となっていった。
単なる不自由が、障害として最も立ちはだかったのは中学の合唱である。小学は私服でさほど問題なかったのだが、中学は詰め襟だった。あれを着ると身体の制御がより効かなくなり、首が硬直し顔が完全に斜め上を向いてしまい声など出せる状態でなくなるのだが、いくら不調を訴えても校則とやらで脱ぐのを許されなかった。当時の合唱写真はいかにも苦しそうな格好をしており、二度と見たくはない。
身体を締め付けるもの、拘束にはそれ以来一切の拒否感を抱くようになった。マフラーは絶対ダメ、マスクもほぼ同様で、着用だったら試験も受けられないだろう。この場合特別な事情を果たして認めてもらえるのだろうか? やはりワガママとはねつけられるのか、その辺は分からない。このような体験が少しでもあると申請をすること自体に忌避感を覚える、もしかしたら鼻出しくらいなら許されるだろうと思った可能性もある。
この記事だけでは失格になった学生の事情は判断できない。
ただ、ボーダーの人間にとっては、煩わしく生きづらい世の中になっているのは確かなようである。
何より悲しかったのは、良い時代になったと思っていたのが錯覚だったらしいと言うこと。脊髄反射的にマスクさえつけられない、社会不適応者の声であふれていたこと。校則だから詰め襟くらい我慢して着ろよ、と一緒。悪夢は全く変わっていなかった
この2人は即刻罷免
マスクの取り外し方を間違ったこの人は死刑
マスクは使い方を誤ったら、ただの汚い布、万病の源なのだ ||:3ミつ
後日談
どう考えたって一番の被害者は、
周囲にいた受験生でしたね。
茂木先生炎上中。 趣旨は理解できるし、この事態でも誤解されやすい異論を述べる姿勢は立派だと思うよ。著名人の擁護派でもシレっとツイ消しているヘタレもいるし。尾木ママや乙武さんみたいな誰でもはける正義論より貴重だと評価したいね。
茂木先生のような視点に欠けることは、ボーダーを苦しめる根本だと思いますよ。おかしな主張に聞こえるかも知れないが、冷静に耳を傾けて欲しい。
付け加えておきますが、大半のボーダーは今回のような行動は取らず、我慢して適応しようと必死なんじゃないかな。しかし茂木先生のような理解が全くないから、無限ループに陥ってあがき続ける人もおられるんだろうな、と。
確かに7回も注意を受けた上、最終的にトイレ籠城男、この男の真意は全く分からない、別室を促されて拒むのも不思議、誰が見たって迷惑オッサン、処分は妥当、それだけで片付けられてしまう。特殊な例をエキセントリックに捉えることで、本質を見失って、大メイワクを被る弱者だっているんだよ。
残った結論は、鼻出しマスクは感染をまき散らす(データラメ)、ルール破りは良くない(同調圧力)ってことだけ。私にとってはやるせない事件でした。
忌まわしいので心の奥深く封印していたわけだが、少しずつ記憶が蘇ってきた。
詰め襟、前のホックを外すとほんのちょっと負担が和らぐので、コッソリ外しで我慢した。しかし見つかるとNGの教師も多かった。マスクの鼻残しと何もかも似ている