カラオケの十八番は?

 

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十八番ねぇ、背番号、数字雑学、
コジツケを色々考えたけれど、
どれもいまいちな(1017)日。
カラオケが巧い人、尊敬します
 
ブログ巡りで思い出したこと
 ブログを読んでいて教育って難しいな、とは思った。文章だけでは判断できないが、算数の解き方でも、鶴亀算とか植木算とか、意味のある物もあると思う。これを違う解き方をした場合、その子が独自に考えた物なのか、どこかの塾、例えば公文で教わった物なのか。
 
 後者の場合教えた解き方で、と促すこともあり得ると思う。問題は前者を全否定することで、その区別は普通つくはずだよ。塾は効率よい解き方を教えるが、想像力を鍛えるとは限らない。
 
 私は西日暮里の有名学習塾をトップの成績になったけど、1ヶ月ちょっとで辞めた。キッカケはいくら良い成績でも、やはり外見で注意をされることに嫌気がさしたからだが、学校よりもっとお仕着せでつまらないと思ったのもある。散々くさしてはいるが小中学校の方がまだマシだった。
 これまで敵意ばかり抱いてきたが、学校教員にも同情すべき余地がありそうだ、と少し反省した。
 
 小学生の時、特に算数の授業は退屈だった、簡単に解けるものがほとんどで、真剣には聞く必要がなく、上の空で別のことを考えていることが多かった。ある日のこと、女子児童がちょっとユニークな解き方を披露した、しかし意識は例によって別にありよく聞いていなかった。それを見透かされたように担任にいきなり指されて、その子の考え方の説明を求められたが答えられなかった。
 
「それが○○の一番いけないところだ」、正直教師の指導は今思い出しても腹の立つことの方が多かったのだが、これだけは納得した、未だに良い意味で印象に残っている。
 
 確かに学力を伸ばすためだったら、選りすぐりを集めた塾の方が遙かに良い。ただ塾の詰め込みって何か違うような気がするんだな。義務教育の護送船団も能力増進の妨げにはなろうが、一方で多様な子供が集まり接することのメリットも大きいと思う。私は高校以降の経験で、それを強く感じている。
 
 とりわけ公立の進学高校は内申書の影響で、極端に劣る能力を抱えた人間は通常来ない。このことは様々な軋轢を生んだし、似たような能力の人間が切磋琢磨する環境より、小中学の方が私には面白かった。壊滅的な運動音痴、不自由があったゆえ、まるで何もなかったわけではない。しかし、小中学を何とかやり過ごせたのは、幼なじみのおかげだと感謝している。
 
 カラオケの楽しさって、これに通じるんじゃない? 巧いのを聞きたいんだったらプロのライブに行けば良い。様々なジャンルの歌を、巧拙とりまとめてワイワイと、って事ですよね