私がなぜニシウラ氏にしぼり批判し続けるか
彼の純粋で真摯な人柄に感心した一方で
「身の危険」を感じたから。
2020年当初から書いていて
残念ながら予言したとおりに
我が身に災難が降りかかった。
私は本来前向きだ。
抽象的で申し訳ないが
アクセスが全くなく
長く晒す必要も無いコラム故に
もう閉じてしまったが
ある物事、二言目には
皆が例外なく文句を言っている
ニッポンの主体性無き故に起こる
ある事象に対し
「文句を言わずに逆手に取る方法
さすれば必ず成功します」と
散々書いてきた。
一億総デイトレーダー気質
アメブロもその類いが跋扈している。
目先のことしか頭になく
物事を俯瞰して長期で考えない。
投機ばかりで投資はしない
コロナソードーも根幹は一緒。
今回は突然のルール変更
更には生命に即直結してしまうこと、
不可逆で再チャレンジ出来ぬ事象ゆえ
逆手に取るもクソもないわけだから
こうして矛盾を書き続けているのだ。
とはいえ流石にもう終わるかと
期待はしていた。が、
我が身に関しては未だに続いていて
ゲンナリしているわけだ。
相変わらずニシウラさんは純粋・真摯で
「(老人の死に思いを巡らせ)
(それに未だに日々奮闘する人々に)
最後まで寄り添いたい」
7月30日ツイートの趣旨だ。
これがともすれば偽善であることに
気づいていただきたく
寄り添われて喜ぶべきと
思い込んでいる立場の人間でさえも
ダイメイワクだと
異論を提し続けているわけだ。
我が身の現況を専門家に「なすりつけ」
ヒステリックになっているだけと
思われるかも知れぬが違う、
こうなる前、2020年当初から
ずっと疑義を呈しているのだ。
そもそも「寄り添う」という言葉が
心底から絞り出されたものならば
長引いた自粛と死者に対する指摘に
「オモシロス」なんてコバカにした反論は
口が裂けても決して出てこないはず
なのだがな。
見えている世界が違う
彼は狭すぎる、だからいつまで経っても
都合の良いチェリーで持論を肯定
まぁいくら言ったって通じないだろう。
客観性を目指すつもりの悪しき理系脳
とでも言うべきか。
いわゆる文系学問が追究する
人間にとっての価値、幸せは主観的であり
定量化は出来ないと考えるいわゆる理系脳。
それ故にゼロか1かの「コロナカンセン」を
防ぐことに腐心する。
ところが根拠がチェリーというお粗末。
実は客観性なぞ微塵もなく
研究者の主観に過ぎぬ矛盾。
これまでは懸念(予言)どおりだったが
いよいよラストは我が身の
「コロリころげた木の根っこ」
いわばもう抵抗を諦め
自らはそれでいいやと開き直ったわけだが
己の直ぐの異変からは
何とか逃れられそうな感じ。
悩みは続く……
どうして科学者と称する人
の多くは目先のことばかり
「科学を装いながら」
数学的・論理的思考に欠けるのだろう。
今後も災厄が続きそうだ。
これに似たものがある。
詐欺とはなにか?についても
何回か書いた。
昨今の金儲け気質、デイトレ
いや秒トレは単なる資産の移動
ゼロサムゲームである
こんな当たり前のことが認識出来ない。
一握りの人間に富が集中し
その他大勢は「財布」にされる。
アメブロにも「必勝法」なるものが
喧しいが、そんなものは一秒で
まやかし、悪意のある嘘、と
見抜けるのだが……
医学、ここ3年のタイサクも
同じ事を感じられてならない。
「短期的な」「データの掻い摘まみ」
で煽りまくっていた。
一秒で疑念を感じるべき事
俯瞰して物を見ない、医原病
煽る彼らは意図的なのだろうか?
それはもうどっちでも良い
無自覚なフラジリスタもダイメイワク
これも書いてきた通りだ
要は我々が「そういうものだ」
と認識出来るか否かだ。
勝てば監督のおかげ、負ければ選手のせい
減れば医学のおかげ、増えれば国民の気の緩み
マスクをしない人のせい、ワクチンが足りぬせい
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ
忌まわしい戦時中と全く一緒
こんなのが罷り通り
その風潮を後押しするマスコミの三文記事
どこかで反発しませんか