バリアフリーって言うけど、暮らしづらくなってるような気もする。

 しつこくて申し訳ないですが 例えやすいので野球場のお話。

 

 応援、あれが内野席にまで広がって、21世紀からは野球そのものが見づらくなった。メガホン、タオル、ボード、むやみやたらに立ち上がる、普通の人は気づかないのかも知れないが、視線さえ変えれば観戦そのものの物理的な障害物、妨害行為でしかない。想像力の欠如、昔はマナーという暗黙の了解があったから、幼稚園児みたいな事は言われなくてもしなかったんじゃないか。

 飲食物持ち込み禁止が増えているのも腹立たしい。球場内の弁当、飲み物だとこぼしてしまうから、気を遣っている人間だっているんだよ。野球場が良かったのは、スポーツ施設等他では、跳ねられて参加すら出来ない人間でも安心して自発的にスポーツを楽しめる空間であったからなんだな。
 

 不自由を抱えた人が堂々と助けを求められる社会は理想。その一方で出来るだけ自力で解決できる余地を残しておくのも大事だと思う。後者の視点に欠けてはいないだろうか。前者は後から勝手に拵えた暮らしづらいルールに立脚したものであっては本末転倒だヨ。権限委譲が持つ本来の意味を、もう一回考え直した方が良い……かも、ピキーッ 

 

 とっぽい自助 なんつって~ 

 

 誤解を招きやすいかも知れないが、趣旨に激しく同意。

 いちいち説明しないでも、自助で切り抜けている事っていっぱいある。(この場合、マスクをつけられない理由の人はいて、いちいち説明する社会はナンセンスだということ)

 つまらないルールや圧力が増えて、それが出来ないで困る事ってあるんじゃないかな。場合によっては、説明しても助けてもらえるどころか、バッシングを受けてしまうかも知れないね。

 

 ※ 一度読まれた方はゴメンナサイ。読みやすいように分割、動画を付け足しました。