2020年6~8月記

母親との思い出、教えて!

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 私はとにかく普通のことが出来なかった。ってか今も出来ないw
 走っただけで周りの子供にはからかわれるし、言われたとおりの動作のコピーも全く出来ない。
 本人は不自然さは認識していない場合もあるのだが、社会に適応する上で大きな壁となった。
 
 出来ないことの一つになわとびがあった。
 跳べない以前に縄を回せなかった。
 本人にやる気はあるのだが、教える方で先に切れてしまい、放ったらかし、仲間はずれになってしまう。
 
 が、母は違った。当初は教師や子ども同士のコミュ任せ、過干渉は良くないと様子を伺っていたが、いつまでも誰の手助けもないのを見かねて根気強く付き合ってくれた。どのくらい時間がかかったかは分からないが、前跳びだけは出来る様になった。
 運動能力には大きな問題があったが、根気と集中力だけはあったため、前跳びの持久競争では、大抵最後まで残れるようになった。
 
  母の愛情と根気にも感謝ヒヨコ
 しかし多くの問題を解決するには、残念ながら母の力だけでは限界があった。運動はやる気があっても基本排除、付き合ってもらえることはなく、自助。今は少し良い時代になっているよね?
 
 当たり前が出来ない人って存在する。その多くが不真面目なわけではないはずだ。特に子供に対しては注意を要するだろう。
 
 あくまで自分の経験談だけど、右を向け左を向けと言ったレベル、通常は自然に出来ることを処理できない。複数が絡むとパニック。決して聞いていないのではなく処理できないだけ。一方で処理能力が通常より高いものを保有している場合があるから、偏執狂、自分勝手みたいなレッテルを貼られる。誤解の積み重ねじゃないのかな。
 
  ネットを見ると、ADHDは遅刻を平気ですると書いているのを良く見かける。私は遅刻したこと一度もないよ、寧ろ破られるのが枚挙に暇がない。上から目線のレッテル張りは、社会の空気をオカシクしていると思うな。
 
 大人でも認知症、人の言うことを「聞かない」のではなく「処理できない」。誤った接し方をする場合も多いと思う。施設とかは大人数だから対処が大変だろう。決して信用しないわけではないが、自分の受けてきた仕打ちを考えると他人様まかせにだけは、絶対に出来ない。
 
 8/1 朝まで生テレビ、当然コロナの話題。多分ワイドショーよりはマシって程度。見ている途中に9歳の時に処方された薬のことをなぜか思い出した。
早速「Lドーパ 子供」でググる。出てきたのは「瀬川病」、1971年に学会に発表され注目を浴びたらしい。
 
 確かに症状がよく似ているし、時期も発表の直後、この可能性も考慮に入れられたんだろうね。だが医者からこの言葉を聞いた覚えはない、おそらく親も同様。多くの場合Lドーパの処方で改善するらしい、治らなかったけど^^; 他にもいろんな薬を飲んだっけ、治らなかったけどw 
 
 大学病院の小児科医が、子供には珍しい症例で学会に報告云々って仰ってたけど、こういうことも含まれてたのかな。後生に少しはお役に立ったのだろうか。何十年も封印されていたことの一部がほんのり見えてきたような気がする、ネット検索って面白いね。
 
 以前にも書いたけど、40過ぎてから不自由を治そうという考えは捨てた。暗示の意味もあったのか、本当のことだったのか「大人になれば自然に治りますよ」という医師の言葉も、いつからか呪縛になっていたが、捨てることで気楽になった。現状に準えれば、コロナ撲滅でなく、WITHコロナってことやね。
 
 その後…… 突如閃いたので、今までとは違う形のリハビリは試みている。何故このことを指摘してくださらなかったのか不思議。自分の場合医者は当てにならなかった、ぜ~んぶ、ひらめき自助、ものすご~く単純事なんだが、気づくまでおおよそ50年かかった^^;

 

 

 ヒステリックな発想から生じた姑息な対処法は、後世に禍根を残しかねないよ。私も無意味な教えに半世紀あえぎ続けた。昨今のコロナ報道、専門家の対策を見ていて、同じ事を感じてしまいます。

 

 理論的に冷静に。何度も書いてきたことだが、相関関係(抑もデータ不足のことも多い)だけで、因果関係ありと断ずるのは、大いなる力を持った人たちの常套手段。科学を装った非科学、詐欺師の古典的手口だよね。

 

 絶対出来もせぬ撲滅に拘るのは専門家(医療側)の傲慢であり怠慢。現実に即して出来ることがあるのに、それを後回しにするのは狂ってるぞよ。そのことを指摘することこそが、リベラルさんの役目のはずだが、困ったことに彼らはもっとオカシイ。作られた危機の前では、恐怖ばかりで冷静な判断を失う、80年前と同じ構図じゃないか。

 自らの利益にならぬものは放ったらかすのに、そうでないと過干渉する、最も悲しき負のスパイラル。

 

編集後記 23年8月

この時期はまだ母が認知症であることは

ハッキリ書いてはいないが

今読み返しても実感がこもってる。

これを書いた数ヶ月後に非常識な時間破りで

暗転してしまうのが何ともはや……運命か

我が身、社会全体

返す返すもこの結果は残念。

書いたってど~にもならぬのが

たまらなくクヤシイ。

なんで、そ~なるの!!