きれい事をよく聞くけどイジメなくなるわけないじゃん。
正体は偏った考え方・正義感
コロナ騒動でも思い知らされたね。今回は特に左がひどかったが、彼らの頭にあるのは被害を減らすことではなくイデオロギー、安倍叩き。右は中国叩き、欧州蔓延の対策放置で武漢連呼。
偏った考え方の人の意見をフランクに耳を傾けるといい、ほとんどがオカシク真ん中辺りに正解がありそうなことに気づくハズだ。しかし大抵の場合片側の主張に洗脳されていて、知らず知らずに息苦しい空気を作ることに加担させられている、これがイジメの正体だ。錯覚により作られた正義感,常識ほどタチの悪いものはない。右も左もイジメは良くないと紋切り型の定句を吐くが、あなた方の思考法そのものがイジメの土壌なんだよ。
これは繰り返しブログに書いているのだが、人間は錯覚の生き物である、当たり前を疑うこと。しかしこれは私を含めなかなか出来ることではない。だからこそ現実に起こりうるイジメに対して、周囲がどうフォローするかが最も重要になる。
忘月忘日 あくまでも自分の体験談なので、違うと思われる人もいるだろう。受けた側に目を転じた場合、いじめってアイデンティティをどう保てるかだと思う。私の場合、辛かったが子供によるいじめは、相手がオカシイと思うことで何とかやり過ごせた。ここで終われば良かった。
ところが大人や社会が絡むと厄介。立場が上の者は否定しづらい、得体の知れない恐怖にさいなまれ自分がオカシイと本格的に自己攻撃するようになるからだ。私の場合9~10歳がターニングポイントで、9歳以前のしのげた自分と、それ以降は全く違うって感覚はある。9~40くらいが不安定な時期で、それ以降は幼少期のように、相手がオカシイと思えるようになった。出来ないことは仕方がないと漸く諦められたのが不惑とも言える。
自分の場合おそらく9~12歳で自我が完全に崩壊してしまい、代わりに打ち立て(置き換え)たのがタイガースだったって事かも知れない。柱にするには皆から嫌われているものである必要があって、周囲の子供や担任教師が全て巨人ファン、一番敵視されていたのがタイガース、デブで怠け者と「された」田淵だった。巨人ファンと言っても勝ち負けで一喜一憂しているだけだったので、自分はそうじゃないファンを目指したし、幸いなことにタイガースはそれに適したチームだった。結果として巨人や他のチームについても、普通のファンよりは詳しくなった。
だからアンチヒーローって大事、皆が同じ方向を向いているとき、それに息苦しさ居心地の悪さを感じたとき、調整弁になる。幼少時からイジメを受け、その重要性を認知しヒールを目指したお若い方が、自ら命を絶ってしまったのは本当に痛ましい。自己解決だけでは難しいから、やはり周囲の気遣い・フォローが肝要。凡庸な当たり前の結論だが、こっちの当たり前は疑わずに実行!
忘月忘日 「思い出す」
確か5歳の時だった。母と2人、昼時のそんなに込んでいない京浜東北線、前の席に腰掛けていたおじいさんが、立ち上がってとことこ私に近づいてきた。私の顔がよほど気に入ったらしく、やたらに褒めてくれるのだ。よく分からなかったが近頃の子供には見られない良い表情をしているとか何とかだったと思う、とにかく未来に希望が持てる内容だった。メモ用紙をちぎって似顔絵と詩を書いて下さり、母に手渡した。
小学4年これとは真逆に顔を合わせるだけで,教師から毎日同じ説教を食らうようになった。お前はいつも馬鹿みたいな顔をしている、ふざけてるのか、人の話聞いてるのか、いつもお前は曲がっている、真っ直ぐ前を向けないのか、忘れたが他にも一杯、これが連日、放課後は特訓と称してまた叱られながらの居残り掃除だった。
説教にいちいち真面目に対処し、言われたとおりできない自分に持って行き場のない絶望で途方に暮れていた時、このおじいさん、と言っても顔は忘れているので褒められたこと、を度々思い出した。些細なことが後に生きる勇気を与えることもあるし、一方でそれを思い出すことで負担が和らぐこともある訳だ。
耐えがたい辛いことにぶつかったら、過去にあったとりわけ 良いことを思い出してみよう。誰にでも何かはあるはずだ。また自分も少なくとも人に不快感を与えずに、ともすれば些細なことの一部になれれば、と思いながら生きている。ネガティブな暴言はよほど繰り返さない限り相手にダメージとして残らないが、ポジティブな一言は一生の宝にもなり得る、そんな気がします。