バースの来日第1号は
スタンドまで
届いていなかった!
と言っても、
勿論ランニングホームランではありませんw
時は37年前、
1983年5月7日神宮球場、6回表。
スワローズのミラクル左腕
梶間健一投手から放った右中間への大飛球。
フェンス際で中堅手D.ブリッグスが追いつき、
グラブの中に収まったと思いきや……
はじいてしまい、そのままスタンドに
入ったのでありました^^;
(球場にいる限りそう見えたのですが、当時夜のニュースでリピートを確認できませんでした)
やっぱりバースの動画は見当たらなかった^^;
オープン戦で三宅宗源投手から
死球を受け、大幅に出遅れ。
4/16、シーズン5試合目が
初出場(代打で三振)
以降15打数連続ノーヒット(四球なし5三振)
16打席目に江川卓からタイムリーを放つも、
同じ試合角三男投手に対しては代打山川猛を送られた。
5/7は出場12試合目(スタメン4試合目)
ホームランが出る打席まで
21打数 2安打 3打点 7三振 0四球
(21打数 1安打 3打点 7三振 1四球だったかも?
スコアカードを破棄したためアヤフヤです^^;)
どっちにせよ、せっかちな指標厨が
見ていたら卒倒しそうな数字。
この試合トップバッターの K.アレン選手が
6打数4安打の大活躍していたこともあり、
当時ネットがあったらどんな反応をされていたことか
5月終了時(39試合消化時点)でも
打率.208 ホームラン6本、
オールスター前で.266 9本塁打、
決して最初から爆発したわけではありませんでした。
この年シーズン途中、投手不足を補うためR.オルセン投手を緊急獲得するのですが、当時の外国人選手枠の関係で六大スポーツ紙のうち半数はバース解雇へと伝えていました。その後S.ストローター外野手が神宮球場では珍しかったデーゲームでケガをしたこともあって(その試合では6番ストローター、7番がバースでした)、彼の方が解雇となったわけですが、もしバースの方にアクシデントがあったらその後の歴史は大きく変わっていた可能性が高かったのです。
ヘッダ変更
起死左打之助 大滝のゴロ増
(岸井左馬之助) (大滝の五郎蔵)
鬼平犯科帳のパロディ。
昔は懸河のドロップって言葉がありましたが、
それ風に魔球男、大滝の五郎蔵→大滝のゴロ増。
滝の如く鋭く流れ落ちるカーブでゴロ増産。
マットキーオ→マッキューオ→魔球男
岸井左馬之助→起死左打之助
彼の一打には何度も救われましたっつ~か、死にかけのチームに現れた100年に一度の救世主だったのかも。