2021年 1/9記
ここに来て確率の話を続けて書いたのは理由があります。
コロナ騒動で最も悲しく残念だったのは、議論に確率の概念が全く欠けていたことです。PCR検査や、接触頻度は何度も指摘しましたが、その典型だと思います。
何でも煽るだけのマスコミ、反対だけの野党、一部の専門家と称する人、嘆かわしい限りでした。エモーショナルは一時的な喝采を浴びやすく、世をおかしな方向に導きます。
勿論議論や批判は必要です。しかしヒステリックで、自分の日頃のストレスを発散するだけのものであってはならんのです。書いた確率の話は決して難しいことではありません。最低限の科学に立脚したものでなくてはならないのです。
何でも煽るだけのマスコミ、反対だけの野党、一部の専門家と称する人、嘆かわしい限りでした。エモーショナルは一時的な喝采を浴びやすく、世をおかしな方向に導きます。
勿論議論や批判は必要です。しかしヒステリックで、自分の日頃のストレスを発散するだけのものであってはならんのです。書いた確率の話は決して難しいことではありません。最低限の科学に立脚したものでなくてはならないのです。
結局政治とは、あらゆる事象を総合して眺め、それぞれの期待値を算出し、最大多数の最大幸福を実現すること、だと思うのです。(決して弱者切り捨てという意味ではありません!)
ところが、今回はコロナ撲滅というあり得ない妄想にとらわれたことによる、一辺倒のコロナ減らし対策がヒステリックに求められています。しかもその目的でさえ、根幹で科学的視点が欠けていますから、有効かどうかは怪しいと私は思っています。
本来ならば、自粛による悪影響、自粛ウツや、経済的困窮による不幸な結末、これらの確率も綿密に計算した上で、バランスを取る必要があるはずです。
片側は未だに武漢が~、片側はgo to トラベルが~ と言い合っています。どちらもお気づきでないのかも知れませんが、これは表裏一体で、コロナ対策としては全く無意味どころか、ヒステリックを助長させるマイナス行動でしかないと、私は思っています。両サイドともまるで特高警察で戦犯捜しに腐心する日々ですが、それは問題解決にはなりません。
極めて短絡的に因果関係を勝手に決めつけ、対策を姑息に立てるのは後世に禍根を残しかねません。
まず誰の目にも明らかで、先決問題は現況でパンクを危惧せねばならぬ、医療キャパの話であるはずです。
はっきり申し上げて医師会を始めとする専門家は、飲食店やら何やらをスケープゴートにして、己の怠慢を覆い隠しているようにさえ感じて仕方がないのです。
果たして極めて現実的な、コロナに掛かる前提の医療政策を、感染が一旦ピークを越えた半年間に議論していたのでしょうか。お花畑のPCRばかり課題に挙がっていませんでしたか? 冬場にコロナが再流行する確率と、PCRを含めた方策でコロナ自体を封じ込める確率と、どちらが高かったでしょう。
4月にお気の毒だった栄寿総合病院のような、院内感染をおそれ、医師会がコロナ患者の受け入れを嫌っています。これが医療崩壊の主要因です。
確かにICD(感染防御専門とする医師)が不在の病院がコロナ患者を受け入れたら院内感染で、却って医療崩壊が進む可能性が大きいのは理解できます。しかし4月の教訓を活かして、ここに少しでもメスを入れたのでしょうか? 端から避けてきたのではありませんか??
コロナは基本自然現象、自然の驚異です。それを抜きに人為的云々を唱えるのは馬鹿げていて無意味、短期で収束を図るのは無謀だと思うのです。今回は東洋人には弱毒性のウィルスでした。しかしそれでいてこの現況では、今後真逆な形の自然の驚異に見舞われたとき一体どうなってしまうのでしょう?