泣きたくなかったけど、やっと思いっきり泣けました。。。 | 多頭飼いの勧め

多頭飼いの勧め

2匹の保護わんこ&11匹の保護猫さんと

毎日にぎやかに楽しく暮らしてます。

旅行と美味しいものを食べることが大好き♡

レイキティーチャーもしています♪

この旅をする前から

ず~~~~~っと心に引っかかってることがあったのです

何をしてても気になって頭から離れないこと・・・




朝方目が覚めて、眠れなくなってしまうようなこと







旅行記の途中ですが

その話をしたいと思います。




話したいのは一番古いブロ友のマダム教子のこと

旅先で着ていたこの水色の服もマダムにもらったものなのです




無駄に布が多いんだからと文句を言いながらも
お気に入りで、良く広島に行くとき着てました
チョキ



広島の空港で





こちらは広島駅のマダムと私

 

 

 




ネックレスもマダムのお手製なの照れ

 

 

マダムとはブログを始める前からのお友達

もう15年以上前にヤフー掲示板のゴルトピ

(ゴールデンレトリバーのトピック)で知り合い

以来ずっと仲良しのブロ友さんです




そのマダムが12年半前に病気になりました




よく聞くありふれた病名だけど、とても怖い病気




彼女の病魔は、手術で切ってしまえるところになくて

放射線や化学療法で小さくして

共存していくしか方法がなかったのです




病気はこの12年半

あちこちに悪さしながらも彼女の中に生き続け

マダムは戦いながら、あるいは折り合いをつけて

病気と共存していました




私はお見舞いを兼ねて

この12年で10回以上マダムに会いに広島まで行きました




行くととても喜んでくれて

私はその喜ぶ笑顔を見たくて行くのですが

いっぱいのご馳走や飲みきれないほどのお酒で

おもてなししてくれるのです







一番最後は今年の春

ダムの周りに咲く6千本の桜を見せたいと

弱った体に鞭打って一緒にお花見したのでした








私の母(美津子さん)もマダムには何度も会っていて

11歳しか離れていないのだけれど

マダムのこと娘みたいに思っていました

私関係なく、二人で手紙のやり取りも良くしていました。




体の弱い二人だったので

「生きていればまた会える」と言い合って

次に会えるのを楽しみにしているのでした








年に1度くらい呉に行っていたのですが

今年のお花見の後は1年待てず

紅葉の時期にまた来るねと約束して別れたのでした






多いときは5匹ものわんこを飼っていたマダムですが

今はゴールデンのさゆり1匹

さゆりもこの11月で14歳になります









マダムには「体がしんどくなったらさゆり引き取るよ」

って話していました

「うん。まだ大丈夫。ありがと
ハート

マダムはいつもそう言っていました




今年の4月に逢いに行ったときは

マダムとさゆりはお互いが生きていくために

お互いの存在が必要なんだなって

この二人を引き離すべきではないなと思って

さゆりにマダムのことよ~く頼んで帰って来たのです




8月5日の日

マダムからLineが入りました




『ママ(美津子さん)はどう?

私のほうがもうだめなのかも』って













いつも「まだ大丈夫よ、ありがとハート」って言ってたマダムが

初めて『さゆり託しておけば良かった・・・』

 

って弱音吐いたのです




この2日ご飯が食べられない




ダメじゃん病院行かないと。

ご飯食べないと死んじゃうよ




明日行くよ

点滴の日だ

入院を聞いてみるつもり・・・




うん。入院させてもらえるといいね




そんな会話があって翌日




点滴治療中止になった

緩和ケアに入るそう

このまま入院らしい




そう言って入院したのです




その数日後には処置してもらって楽になったって言ってたの

ご飯も食べられるようになったって




10日には共通のブロ友さん

トモママ&さんとこさんと4人でのグループラインに

こんな写真もUPしてくれました











私が6月に贈った能登のお土産

安物だから普段使いにしてって言ったのに

もったいないからいざという時に使うって言って

入院の時、今がいざという時だから
チョキって

病院に持っていって使ってくれていたの
笑い泣き




実は私、毎回旅行するたびに

マダムにはちょこっと土産送ってました




今はもう旅行に行けなくなってしまった体だけど

私のブログは全部読んでるよって言ってくれて

元気になったら行きたいなぁって言っていたから

ブログ読みながら、一緒に行った気分になれるようにって

いつもお菓子とかちょっとしたもの送っていたのです




今回の河口湖ハーブ園ではバラ柄のマスクカバーを見つけて











あぁマダムのお土産にしたいラブラブって思いました


でもね、買ってこなかったんです
ぐすん




実は8月の14日に意味不明のLineが来て

返信したけど、返事がなくて

16日に同じ内容のLineが個別とグループに届いて

マダムはそれきり音信不通になってしまいました




何度Lineしても既読にならず心配していました




でも遠く離れた私にできることは何もなくて

ただいたずらに時間が過ぎていくだけでした




本当は確かめるのが怖かったのかも知れません




でもとうとう音信不通から丸1か月経った9月の16日

重い腰を上げることにしました




入院先の病院に何度か電話してみたのですが

最後に出た婦長さんがやはり個人情報だからと

何も教えてくれませんでした

入院してるかしてないかも教えられないって。

自宅へ行くとか、親せきに尋ねるとかしてくださいって。




でも実は、最初の電話に出てくれた受付の人は

現在は入院していませんって口を滑らせてくれたの




ここ数年、逢うたびに弱っていったマダムが

私もうダメかもって弱音はいて

治療を止めて緩和ケアに入り

今は入院してなくて

音信不通になって1か月経つってことは

きっとそうゆうことなんじゃないかと思うのです




マダムのことを思うと胸がきゅ~っとなって

涙がうるうるあふれてくるのです
ぐすん




でも私は泣けないのです




だって誰も私に

 

教子さんは亡くなりましたって教えてくれないから




もしかしたらまだ生きてるかもしれないから。。。




もう、どうしてマダムに万が一のことがあったら

私かトモママに知らせてくれるように

手配しておいてくれなかったの

マダムのばか~
笑い泣き

 

泣くに泣けないじゃないか

って思いました
ぐすん







でもね、きっとマダムは最後まで

生きることを諦めていなかったのだと思います




まだまださゆりが元気なうちは頑張らないとね

って私が言ったら




そうなのよ、さゆりね

病院の先生が驚くほど若くて元気なんだって


一緒に生きたいな

今の辛い症状が良くなって少し動けたら

家の荷物全部実家に移したいし

親戚の者に頼んでおきたいこともあるし

楽になればな~




って言ってた
ぐすん




いつも、この治療が終わったら元気になるよ、とか

もう少し経ったら復活するよ、とか

春になったら動けるようになるよ、とか

前向きなことしか言わなかったマダムだから

きっと今回の入院も、必ず復活して

またさゆりと暮らすんだって思ってたのかも知れません




昨日、マダムのケアマネで

入院中さゆりを預かってくれていた方と

やっとお話しすることが出来ました



教子さんは亡くなっています


その言葉を聞いて、やっとはらはらと泣くことができたのです




マダムは8月20日に息を引き取ったそうです

痛み止めの強いお薬で

最後はずっと眠っているような状態だったと




やっと、長い痛みから解放されたね




きっと、さゆりを残して旅立つのは

本当に心残りだったと思います




さゆりは今ケアマネさんの施設の同僚の方で

わんこをいっぱい飼ってらっしゃる人がいて

さゆりを自宅に連れて行ったら

何の問題もなくすんなりとみんなに溶け込んでくれたので

残りの犬生をしっかり最後まで責任持ちますって

言って下さってる人のお家で暮らしてるそうです




泣きながらもそのことだけはちゃんと聞いて

感謝の言葉と、くれぐれもよろしくお願いしますと伝えました




あの子が生後40日だか50日だか

2か月足らずでマダムの家の子になった時から知ってます

成長をずっと見てきました

かあさんしか見てなくて、かあさん命の

本当に手がかからない健気な子なんです




もう何度目かの入院

きっと今回もいい子にしていれば

きっとまたかあさんが迎えに来てくれるって

さゆりは信じているに違いない

それを思うと涙があふれてあふれて仕方ないです




さゆりには、新しい兄弟たちの分も

なにか美味しいおやつでも送ってあげようと思います







『あなたが生まれた時

あなたが泣いて、みんなが笑っていたでしょう




だからあなたが死ぬときには

みんなが泣いてあなたが笑うような人生を生きなさい』




ネイティブアメリカンのことわざなんだそうです

今はもう消えてしまったヤフー時代のマダムのブログの

ゲストブックの紹介文に書いてあった言葉です


『穏やかなブログにしたいので、宣伝等はお控えください』

だったかな

日常生活を綴った穏やかな優しいブログでした



マダムが笑って旅立って行けていたらいいなと思います

少なくとも私は、ぐちょぐちょになるくらい泣いてますよ




泣くのが1か月以上も遅くなってごめんね

心からマダムのご冥福を祈っています

どうか安らかに。。。



マダムのLineのアイコン

 

何故か私との2ショットなんですよ照れ

 

私変な顔してるけどアセアセ

 

 






マダムのこと

マダムの生きた証

お友達でいてくれた15年間のこと

今後も少しずつ綴っていきたいなって思ってます

 

想い出が沢山あるのです。。。