うっかり「つづく」なんて書いたものだから続きを書かないといけませんよね、遅れてごめん。「技術が経済のパイをひろげるって話 その2 」への戯言です。トラックバックしない理由は前回書きました。


子供に親が生きているうちから農耕技術の継承と土地の継承を行い、食糧の確保をせねばならなかった。

前回「違和感」と書いたモノについて考えてみる。農業をベースにして「家族」やそれ以上の規模の集団を維持することをイメージすると、どうもカムイ伝のような話が頭をよぎるのだ。あるいは、日本残酷物語に出てくるような例もそうである。つまり、農民というのは今までずっと、それどころではない世界に生きてきたのではないだろうか、ということだ。


宮沢賢治氏が「雨ニモ負ケズ」を書いたのが1930年頃だという。


ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ

「ヒデリ」が「ヒドリ」だという説はさっき初めて知ったが、これは何百年も前の話ではない。かといって数年ということでもないのだが、東北の農耕のが昭和初期まで悲惨だったということは紛れもなく事実である。さらに昔、もっと悲惨だったと想像してもそう外れてはいないだろう。


今時のIT技術者なら、学校出て資格とって入社してからインターンシップで基礎技術を固めて…なんて感じかもしれないが、昔の農家はそんな悠長な状況ではなかっただろう。働ける年齢になったら全力で自分達の食うものを作る。食えるものが作れないと餓死するからだ。しかも不作になるかどうかが、天候のような人間にはどうしようもないファクターに左右される。実際、大飢饉のときには大勢死んでいる訳で、だから「親が生きているうちに」なんてのんびりした状況が想像できないのである。


そう考えると、この違和感の本質が見えてくる。つまり子供に「土地を継がせる」なんてことを考える暇があったのか、ということだ。もちろん、やれば出来るという格言もある位で【違】、作る気がなくてもとにかく子供はできる。結局、自分が今日食うのが大問題で、そのために子供を働かせるというような順序であって、継承なんてのんびりした話は出てこなかったのではないか。


余談だが、当時は今のような避妊技術もないし、医学も確立していなかった。そのため、いわゆる「間引く」という行為が行われていたはずである。今では考えられないことかもしれないが、そういうことも頭に入れておくべきだろう。


現代日本では、人口の9割が農業ではない産業に従事しているわけで、子供に土地を継がせる必要もないのに、一夫一妻制の結婚制度があたりまえのように存続しているのは、つい100年前まで、ほとんどが農民であったことに起因するのだろう。

成程。ちなみに、人口比でいえば、江戸時代は8割が農民だったらしい。現在は元社長氏が指摘している通りで、農業は人口の1割程度が従事している。( http://www.research-soken.or.jp/reports/digit_arch/population03.html )


ところで、今回の話題で人口比を考えるのは自然な発想だが、一般論としては、この種の統計を考える場合、絶対値と相対値、両方考えるのがよい。


今から100年前の人口は5000万人弱である。江戸時代なら、約3000万人程度と言われている。仮に江戸時代の8割が農民とすれば、農民は2400万人いたことになる。今の日本の人口は1億5千万人だから、その1割が農業に従事しているとすれば、1500万人ということだ。2400万人から1500万人になった、というのと、8割から1割になった、というのとでは、かなり印象が違う


まあでも減ったには違いない。


ちなみに、法律婚という制度が確立されたのは明治以降でしたっけ?「家」という制度が法的に定められたのは明治あたりで、農耕の発明なんていう大昔のことに比べると、意外と新しかったような気がする。


これまた長くなったので、多分まだ続く。あ、またヤバいような気が。