前々回の続き | この世の外ならどこへでもーモラハラ・DVからの自己回復日記

この世の外ならどこへでもーモラハラ・DVからの自己回復日記

2012年より「望郷解毒酒場」という謎のタイトルで書いてきたこのブログ。
離婚後は解毒する「毒」も無くなったのでタイトルを変えました(2021・4より)
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この前の「正解など、無い」に書いた続き。

 

たぶん、私の認識してる「カウンセラー」(心理援助職)というのと、大多数がいま思ってるそれとは定義が違うんだろうな、とはわかっている。

 

**ハラスメントという言葉が一般的になって知られ何にでも簡単に名付けられることで、深刻な被害の実態がぼやけてしまっているのと似てるなとも思う。

 

心理や精神について、相談するということも相談を受けるということもどちらの敷居も低くなった気がするけど、そのせいで「相談を受ける側」が玉石混交になっているのは否めない。

 

「問題」を考えるときに、たぶんその人の求めている「深さ」があって、深みまで潜りたい・知りたいという人間もいれば、ある程度で十分という人間もいる。

ある程度でいい、という人のほうが大多数なのだと思う。

 

アメブロに来てる人もそういう人が多いだろう。だからほんとは、ここで私がわりとまじめに心理や精神やその援助職について考えて書いてるのは、あんまり意味はねえなあ、、どうせならきちんとまとめてnoteにでも載せたほうがいいよなあと思うんだけど、10年以上考えを試行錯誤してる自分の場所だし、ただだら書いているだけでアクセスも求めてないからまあいい。

ラフスケッチみたいなもので、そのうち何かまとめるときにベースにできれば。

 

レンタルで彼氏(役)や家族(役)が借りれるように、「親身になってくれる人」を時間で借りたい、という感覚ならわからないでもない。

 

何にいくらお金を使うか、価値を置くかっていうのは自由で、まだある程度の余裕がある人、話を聴いてもらうだけで満足という人ならば、私が考えるほど、カウンセラー自身の専門性や知識はそれほど問題じゃないのかもしれない。

 

でも、家庭のDVやモラハラで本当に悩んで瀬戸際にいる人っていうのは、経済的な余裕もないのがほとんどで。

精神的にも、遠回りしていればその時は楽になったように見えても、結果的に本人の内部はそれだけ壊れていく。

 

相談するその時点で警察や精神医療や弁護士につながることが必要な状態の人もいるはずだけれど、たくさんいるネットを舞台にしたカウンセラーにそうした所との連携が可能とは思えないし、クライアントに関わるに当たって、そのようなことに対する配慮も必要で自分がそういうクライアントに出会ったときにどう対応できるか、という視点を持っている人もほぼ見かけない。

 

 

私が誰でも見れるブログに長らく書いているのは、自分もこの中で助けられた部分が大きいからかもしれない。

精神的にも、また具体的な情報としても。

同じ渦中にいる人・先に離婚に踏み切った人から、具体的な知識を得ることで先に進めた。

 

早く次へいけ!そんな奴は捨てちまえ!と、私がくり返し言ってるのも、留まる分だけ失うものも壊れるものも自分の中に多すぎた自分の実感からだ。

読んでいる人の中にみすみす危険な方向へ向かう人がいても見分けはつかない。ただ、いるとわかっててそのまま見過ごすわけにはいかなくてね。

黙っているのは、消極的な賛成になる、と思っていて、それが自分で嫌なだけ。

誰かを救えるとか救おうなんて思ってないけど、危ないですよ、とひと言は言っていたい。

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