母の日。

今年は、娘にとっても自分にとっても、心が温まる一日にしたかった。


親友のタリちゃん、そして彼女の娘のアリちゃん。

ふたりの子どもたちは仲が良く、この日は屋外でのんびり過ごせる場所に出かけて、家族ぐるみの時間を楽しむことにした。

子どもたちが自由に遊べて、大人もゆっくり話せるような場所。

私の中には、「こういう時間が娘にとって、安心と楽しさの記憶になってくれたら」という願いがあった。


実際、娘はアリちゃんと何時間も笑って遊び、本当に楽しそうだった。

今年の母の日、きっといい日になると思っていた。


でも、帰り際にその空気は崩れた。


娘はアリちゃんと別れたくなくて、涙を流して抵抗した。

私は「帰る時間だよ」と優しく声をかけながら、体を止めようとした。

そのとき、私の腕が娘のお腹に少し当たった。


「痛い!」と叫ぶ娘。

そしてそこから、30分以上続く責めの言葉が始まった。


「なんでそんなことするの」

「ママなんて私のこと愛してない」

「さよならって言いたかっただけなのに」


私は、最初はとても丁寧に対応した。

「ごめんね」

「さよならって言いたかったんだね」

「悲しかったね」

「ママも間違えることがある、でもあなたを傷つけたくてやったわけじゃないよ」


何度も、何度も伝えた。

それでも終わらなかった。

同じ言葉が何度も繰り返されるうちに、心がぐらぐらと揺れていった。


怒りが、こみ上げた。


「なんでこんなに謝ってるのに、まだ責められるの?」

「私はもうちゃんとしたよ。これ以上、どうすればいいの?」


その瞬間だった。

私の中のトラウマのスイッチが、静かに、でも確実に入ったのがわかった。


まるで、時間が巻き戻されるようだった。

私がまだ子どもだったころ、どれだけ謝っても「許されなかった」あの記憶。

泣いて訴えても、誰にも気づいてもらえず、

「私が悪い」「もっと我慢すればいい」

そう思い込まされていた、あの空気、あの冷たさが蘇ってきた。


胸が締め付けられて、

怒りと悲しみと無力感が、堰を切ったように押し寄せてきた。

だけど私は、その中で崩れずに踏みとどまろうとしていた。


私はグッとこらえて、言葉を選んだ。


「今、私はとても疲れている。

私も、怒っている。

でも、私が怒っているからといって、

あなたを愛していないわけじゃない。

怒っていても、私はあなたを愛してる。

あなたが何をしても、私はあなたを愛することに変わりはない。」


私は、それを何度も伝えた。


そしてさらに続けた。


「これは、私のメンタルヘルスの問題なんだ。

今、私の心がとても疲れていて、回復する時間が必要なの。

少し、静かになる時間をください。」


そう伝えるたびに、娘の目は揺れていた。

私が責めているわけじゃない。

でも、壊れかけていることだけは、ちゃんと伝えたかった。


私が心から望んだのは、「完璧な母親」になることじゃない。

ただ、「壊れそうなとき、自分を壊さない方法を学ぶ母親」でありたい。

そしてそれを、愛する人に伝えられる母でありたい。


この母の日、私は完璧じゃなかった。

でも、愛は伝えた。

怒りの中でも、言葉を選んだ。

私自身がかつてされたような“見捨てる愛”ではなく、

怒っていても離れない、安心できる愛を目指した。


私はまだ回復の途中にいる。

それでも私は、

「私が怒っていても、あなたを愛してる」という言葉を、

今日も娘に届けたい。


Sofia