私はかつて、毎週セラピーを受けていました。
何年も、何人ものセラピストに会い、心を開こうとしてきました。
けれど、心は一向に軽くならなかった。
「これはどこに向かってるんだろう?」
「こんなに話して、泣いて、怒って……何か変わった?」
毎回のように涙を流し、心はいつも崩壊状態。
出てくる言葉は、恐怖と怒りと絶望ばかりでした。
あるセッションで、私はこう話しました。
「昔、大切に集めてた漫画の本を全部勝手に捨てられたことがある」
それは私の中でも特に痛みの深い記憶でした。
なのに、セラピストはこう言ったんです。
「今のあなたが買い直せばいいんじゃないですか?」
——その瞬間、私は心の底から怒りが込み上げてきた。
“そうじゃない。私が話してるのは、モノの話じゃない”
“奪われた子ども時代の私の話を、わかってほしかっただけなんだ”って。
だから私は、セラピーを信じなくなった。
「私の痛みをわかってくれる人なんて、いない」
そう思ってからは、自分ひとりで心の中に潜って、
ひとつひとつ、毎日毎日、セルフワークを積み重ねてきました。
それが私の「ジャーナリング」。
誰も見てなくても、毎日、何かしら書いて、感じて、観察して、立ち上がる。
でも——
去年の冬、私はもう限界だった。
眠れない日々。
夢は悪夢ばかり。
大好きだったアパートの部屋が、灰色に見えた。
買い物しても、何も感じない。
娘とキャッキャ言いながら選んでいたキティちゃんのグッズすら、胸に響かなくなった。
食べても味がしない。
映画を観ても、心が動かない。
感情が死んだ。
怒りすら、なくなった。
“まだ怒りがある方がましだった”と、心から思った。
私は、音のない真空に投げ込まれたような、寒くて暗い世界にいた。
そんなとき、私は「法的に戦う」と決めました。
元夫からの執拗な攻撃。
精神的にも、身体的にも、限界がきていた。
そして、「専門家に客観的に見てもらおう」と思った。
いろんな支援を受けるのは、甘えじゃない。
それは「生きるための選択」だって、自分に許した。
そこで出会ったのが、経験豊富なPTSD専門のセラピスト。
その人とのセッションで、私はこれまで自分がどれだけやってきたかを話しました。
ジャーナリングのことを伝えると、彼女は驚いたように言いました。
「それ、すっごくいいです。どこで学んだんですか?」
「……あなたは本当によく頑張ってますよ」って。
涙が出そうになった。
やっと、やっと、誰かが見つけてくれた。
私が自分で編み出した、生きるための方法。
見よう見まねで、必死で身につけた術。
誰にも頼れなくて、一人でここまで来た道のりを、やっと肯定してもらえた。
そして、彼女に教わったことの中で、一番印象的だったのは——
**「戦地に行く戦士は、鎧を着ていくんです」**という言葉。
私はそれまで、ずっと「丸腰」で戦っていた。
元夫からテキストが来るたびに、心がズタズタになる。
焼け野原のような戦場に、毎回生身で立っていた。
でも彼女は言った。
「あなたは癒す力がある。だけど“そもそも刺さらない準備”をしてもいいんです」
「ピンクのバブルのような、ふわふわした精神的な鎧を、あなた自身にかぶせていいんです」
それは私にとって、目から鱗だった。
“癒す”だけじゃなくて、**「守る」**という発想。
それを、自分にも与えてよかったんだって。
私は今、朝起きたときに、ふわふわしたピンクのバブルに包まれているイメージをしている。
その日一日、そのバブルが私を守ってくれるって思うだけで、
元夫からの攻撃的なテキストも、少しだけやわらかく受け止められるようになった。
「強くなること」ばかりを目指していた私。
でも今は、「傷つかない準備」もしていいって、自分に言える。
自分を守ることは、逃げじゃない。
それは生き抜く力の一部。
もし、かつての私のように「丸腰で戦ってる」誰かがいたら、
あなたも、どうか自分にその鎧を与えてあげてください。
あなたの魂がこれ以上傷つかないように。
本当は、もう充分すぎるほど、がんばってきたんだから。
ソフィア