私は、ずっと不思議だった。
どうして私は、落ち着いた場所に住めば住むほど、家から出たくなくなるのか。
どうして私は、人と会うのが怖いのか。
どうして私は、安心しているはずの空間で、いつも心が閉じていくのか。
実家に一時的に戻ったとき、2ヶ月近く、一歩も外に出られなかった。
外に出るのが怖かった。
「また傷つくかもしれない」「また無視されるかもしれない」
そんな“かつての現実”が、今の世界にまで染み込んでいた。
でも今なら、はっきりわかる。
私は咲けなかったんじゃない。
そこが、咲けるような場所じゃなかっただけなんだ。
そう。
戦争のような環境では、誰も堂々と咲けない。
家の中にこもったのも、外に出られなかったのも、
「私が弱かったから」じゃない。
「私が甘えていたから」でもない。
それは、生き残るために、私が選んだ「方法」だった。
私は、旅行が好きだ。
知らない土地に行くと、ふしぎと外に出ようと思える。
散歩をしてみたり、カフェに入ってみたり、新しい場所に自分の体を置いてみようとする。
それはきっと、「ここは私に危害を加えない場所かもしれない」って、
心と体が少しだけ感じているからだと思う。
でも、日常に戻ると、私はまた殻にこもる。
落ち着いた場所、知っている町、慣れた風景。
本来なら安心できるはずの場所なのに、私はまた閉じてしまう。
それは、私にとって**“知っている”=“また傷つくかもしれない”**という学習が、
もう深く体に染みついてしまっているからかもしれない。
子どもの頃、外に出れば、誰かが笑った。
少しでも目立てば、誰かが傷つけた。
普通にしていても、普通じゃないと責められた。
だから私は、「外の世界=戦場」だと覚えた。
出れば撃たれる、出れば刺される。
そうやって、生き残ってきた。
でも最近になって、少しずつ少しずつ、
**「それは本当に今の現実なのか?」**って問いかけられるようになった。
外に出て、優しくしてくれる人もいた。
話しかけたら、笑ってくれた人もいた。
「…あれ? もしかしたら、ここはもう戦場じゃないのかもしれない」
そう感じられる日が、週に1回でもあるだけで、
それは私にとって、大きな前進だと思っている。
今の私には、まだ「人と繋がるのが怖い日」もある。
でも、0か100じゃなくていい。
殻にこもる日があってもいい。
ただ、「咲ける場所はある」って信じられるようになってきた。
もし、あなたも「どうして私はこうなんだろう」って、
同じように悩んでいたら、こう伝えたい。
あなたが咲けなかったのは、咲けない環境にいたから。
あなたに力がなかったんじゃない。
戦場では、誰も堂々と咲けない。
でも、あなたが根を張れる土と光に出会ったとき、
きっとゆっくりと、あなたらしい花が咲きはじめる。
この言葉が、かつての私のように「殻の中」で息をひそめているあなたへ、届きますように。
あなたが咲く日を、私は心から信じてる。
ソフィア
