「金曜日までに返信します」と言われたメールが、金曜日になっても返ってこなかった。
私はただ、事実の確認を求めていただけだった。
娘がプリKにいた頃のこと。
私は、知らない間に“排除されていた”。
担任の先生と、娘の父親、そしてその当時の恋人。
この3人で娘に関する連絡が取り交わされ、
私——実の母親であり、法的な共同親権者である私には、一切知らされなかった。
そのことに気づいたとき、私は心から混乱し、恐怖すら感じた。
誰がこの構造を許したのか?
学校はそれを知っていたのか?
そして今、その質問に対しても**“沈黙”という形で無視されている**。
私がこの件について校長先生にメールを送ったのは、責めたいからではなかった。
ただ、**「何があったのか知りたい」**という、親として当然の願いだった。
それに対しての返事が「沈黙」であるという事実は、
私にとっては“説明責任の拒否”であり、見えない形での支配の継続に感じられた。
私はこれまで、たくさんの“沈黙”に苦しめられてきた。
怒りも悲しみも、問いかけも、返されないまま空中に溶けていく。
「母親としての権利」を侵されても、
「あなたの声は聞くに値しない」と言われているような空気だけが残った。
でも、今の私は違う。
呼吸を整えながら、自分に問いかける。
「これは私の責任?」
「これは私が謝ること?」
「これは、本当に私が黙って耐えるべきこと?」
答えははっきりしている。
沈黙を選んだのは、向こう。
私を排除し、話し合いもなく娘の人生に介入したのも、向こう。
私はただ、母親として知るべきことを求めただけだ。
月曜日、私はもう一度メールを送る。
それは、怒りの言葉ではなく「誠実な責任」を求める言葉になる。
そして、たとえまた返事がなかったとしても——
私は、自分を責めない。
見えない支配に晒されたとしても、
私は、沈まない。
私は、母として、人として、再生している最中だから。
Sofia