今日は私の誕生日。

そして、アメリカではナショナル・ホリデー。

独立記念日。


街では家族で過ごす人たちが、公園やプールやピクニックエリアでにぎわっていて、

夜には大きなファイアワークスの予定もある。


私も誘われてはいる。

夜には娘と、そして知人家族と一緒に花火を見に行くかもしれない。

それなのに。

それなのに、朝からずっと、心が重たい。


娘を誘って「プールに行こうか」と言っても、娘は「友達と行きたい」と言う。

二人の友達に連絡してみたけど、「今日は家族で過ごす予定なの」と言われた。

それは当然のことだ。

祝日だし、家族がいる人たちにとっては自然な過ごし方。


でも私の中では、そこからじわじわと、あの感覚がやってくる。

寂しい。こわい。恥ずかしい。取り残されたような気持ち。

誰にも必要とされてないみたいな、自分がどこにも居場所を持ってないような感覚。

スターバックスにバースデーギフトのリンクを取りに行く途中で、

その感情がピークになった。


「私だけがひとりきり。世界に見放されてる」


何かに理由があるわけじゃない。

たぶんこれって、「アバンドメント・メランジ」——

過去の見捨てられ体験と、今の環境への不安や寂しさが重なって噴き出す、混ざり合った感情。




私の中には、ずっと孤独がいた。

そして、その孤独には形があった。

たとえば——

ギャンブル狂いだった母。

小さな私をネグレクトして、何日も家に帰ってこないこともあった。

ギャンブル場に連れていかれ、椅子に座らされたまま、何時間もひとりで過ごした。

家にいても、家じゃないみたいだった。

ご飯はくれた。でも、それだけだった。


そんな家庭で育った私は、「ちゃんとした誕生日」をほとんど経験してこなかった。

大切にされる実感も、家族と過ごす楽しさも、なかった。


だからこそ、“誕生日”と“ホリデー”が重なる日は、

私にとっては地雷だったんだ。




心の中で叫びたい。


ねぇ、私ここにいるよ!
誰か、私の存在をちゃんと見てくれる?
今日だけでいいから、私のこと、真ん中に置いてほしい。


そんな願いすら、どこかで「わがままだ」と思って飲み込んできた。


でも今、私は気づいてる。

これは“ただの感情”なんだって。

過去の記憶と結びついて、私の中で繰り返されるパターン。




夜になれば、きっと花火の光が空を彩る。

娘が笑って「きれいだね」と言うかもしれない。

それでも、私の中に住んでる小さな私がまだ泣いていたら——

私はそっと、こう言ってあげたい。


「あなたは、ちゃんと生きてるよ。ひとりぼっちじゃないよ。」

「今日ここにいてくれて、ありがとう。」


生きてくれてありがとう。


ソフィア


Summer skies Drink 

ラズベリーパールと爽やかな少し酸っぱいヤクルトを薄くしたジュースが美味しい😋