母に裏切られ続けた少女のまま、私は今も戦っていた
最近、職場で「外的批判者(Outer Critic)」の声がすごく強くなっている。
ターゲットは、今の女性上司。年上で権力があるその人に対して、私は心の中でずっと怒っている。
「私の仕事を見てない」「私の負担を軽く見てる」「この人は、私を潰しにきてるんじゃないか」って。
気がつけば、仕事中も、眠る前も、ずっと頭の中で「どうやってこの人を打ち負かすか」ばかりを考えていた。
戦略を立て、言葉を準備し、完璧に潰すシナリオをリピートする。
それは完全に“自動操縦”だった。
でも、ある日ふと気づいた。
この怒りは、この上司そのものに向いているわけじゃない。
私はその人に、母親を重ねていた。
私の母は、信用できない人だった。
ギャンブルに狂っていて、大切にしていた本を、翌朝には全部捨てられていたこともあった。
彼女が作った借金を、私が大人になってから支払った。
他人の尻拭いばかりを、私はしてきた。
そのうち、「私は“誰かの落ち度”の補填をするために生きているのか?」って思うようになった。
そんな母が私にくれたのは、「人は信用できない」「自分が全部背負わなきゃ」というメッセージだった。
気づけばそれは、私の生き方そのものになっていた。
今の上司の言動に、私が異常なほど強く反応するのは、
今ここで起きている出来事ではなく、
過去に処理しきれなかった感情が、再演されているからだった。
怒っているのは、今の私じゃない。
叫んでいるのは、あの頃の私だった。
小さな私が、心の中で泣いている。
声を張り上げて、必死に叫んでいる。
「ママ、私のことをちゃんと見て」
「私を守ってほしい」
「私を裏切らないで」
「私のそばにいて」
「温かい家庭がほしい」
「どうか、私の味方でいて」
私はずっと、この声を聞かないようにしてきた。
代わりに、「怒り」という形で、この声を外の世界にぶつけてきた。
でもやっと、今、少しずつその声を聞こうとしている。
誰かをやり込めることで自分を守るのではなく、
この声に寄り添うことで、私自身を守ろうとしている。
「誰も信用できない」という思いは、
ある日ふいに生まれたものじゃない。
それは、守られなかった子どもの私が、命がけで学んだサバイバル戦略だった。
でも、もう私はあの頃の子どもじゃない。
私は、あの子を守ることができる大人になった。
怒りの奥にある声を、これからも大切に聞いていこうと思う。
Sofia
今日はバルコニーで読書してブログ書いたり![]()
