昨日、大きな怒りに飲み込まれそうになった。

理由は、元夫がタックス申告の中で、私たちの過去の合意を無視して子どもを「自分の扶養に入れる」ように手続きを進めていたことが発覚したから。



それは単なる手続きの問題じゃない。

「誰がどれだけ子どもを見ているか」という時間の話でもない。


それは、もっと根本的な、「誰がどんな責任を担い、何を犠牲にして子どもを守っているか」というリアルな生活の話。



彼が仕事を失い、子どもの健康保険のカバーすらできなかったとき、

私は迷いながらも自分の会社の保険に子どもを加えた。


経済的にも精神的にもギリギリだったけれど、それが“親のすること”だと思ったから。



そのとき、彼は「じゃあ、今年はあなたが扶養に入れていい」と言った。

私は信じた。紙の契約ではなかったけれど、親としての誠意のある約束だと思った。



でもその後、彼は少しずつ距離を調整し始めた。

会う時間をずらし、週の半分以上を過ごしていないように見せかけるような行動があった。

それはまるで、「自分がより多くの時間を子どもと過ごしている」と主張できるようにするための布石だったように見えた。




私が感じたのは、裏切り。

そしてその裏にあるのは、「恐怖」だった。



また、私は騙されたのかもしれない。

また、自分の善意を利用されたのかもしれない。

移民として、母として、孤独の中で必死に子どもを守ろうとしてきたその歩みが、

また誰かの都合で踏みにじられるのかもしれない、という恐怖。




私は過去に、自分の怒りを押し殺して生きてきた。

でも今は、怒りも恐怖も大切に扱いたい。

それは、私の中の「境界線が破られた」という声だから。




子どもの権利は、誰かのエゴのために使われるものじゃない。

母として、今この時代を生きる1人の女性として、

私はこれを声にしていく。




自分を守るために

裁判で戦うとう選択をしようと思っている



もし、同じような思いをしている誰かがこれを読んでいるなら、

あなたの感情は、間違っていないよ。



Sofia