20番目のオーガスト | ファニーポッターと賢者の意志

20番目のオーガスト

 

 

「大事なのは、趣味が合うこと or 食べ物の好みが合うこと、どっちか?」

 

なんて質問があった

 

信じられん

 

食べ物の好みなんて…と思ってしまった

 

それ以上に、僕にとって「趣味が合うかどうか、受け入れられるかどうか」

 

…というのはとても重要な事だ、考えるまでもない

 

―が、それに対する回答や反応は

 

「趣味が違った方が互いに楽しめる」

「趣味なら合わせられるものもあるはず」

「食事は毎日の事だから合わないとキツい」

「食べ物の好き嫌いはどうしようもない」

 

…なんだと!

 

そうか…確かにな…食事は重要な日常的ファクター

 

好きなものを一緒に食べられないってのは確かに寂しいし

 

夕飯のメニューから相手の嫌いなものを除外しなくてはならないし

 

辛い物が苦手ならスパイスに気を使う必要があるし

 

甘い物が好きなら糖質制限の為砂糖を減らすということが躊躇われるかもしれない

 

…が、しかしだ!趣味の方に関してはどうだろうか!どうなんだこれは

 

無理に合わせるものか?それって嬉しいのか?楽しいか?

 

互いにすんなり受け入れあえる物だろうか?互いにすんなり馴染めるだろうか?

 

僕はそうは思わない、思えない

 

…けど、これも、僕が少数派の考え方や思想なのだとしたら?

 

殆どの人にとって趣味なんてそんなものだ…としたら?

 

そうなら、まだ、良いのかもしれない

 

少なくとも、自分の趣味や好みが受けれてもらえる可能性は充分に有るという事になる

 

かもしれない

 

自分はどうなんだ…どうなのか…わからん…今までそんな事考える必要が無かった

 

端から他人の趣味など受け入れる必要も共有する必要も無いと思ってきた

 

必要に迫られる事もなかった…そもそも人とそんな深く関わった事がなかった

 

 

音楽に関してはかなり厳しいんじゃないだろうか

 

それ以外のものと比べて、音楽というのは人の心や精神、記憶に深く関わり過ぎるものだ

 

趣味の型は近くとも、記憶が絡むだけで大きな差が出る

 

所謂「思い出補正」というものもある、これは大きいぞ

 

どうなんだ…

 

好みから少しでも脱するラインを行く旋律やビートは不快に感じるものじゃあないか?

 

他の趣味や好みとは接し方や受け入れ方が大きく違うと思う

 

どうなんだ…

 

慣れか?それでどうにかなったりするのか?

 

或いは、互いに全く触れなければ問題無いんだろうか

 

これはとても難しい問題のように思える

 

…難しい

 

 

 

 

 

興味の無い事についてまさかの饒舌っぷりを発揮されてしまった場合、どう感じる?

 

延々と知らん事について(それも嬉々として)語るそいつを、いったいどう思う?

 

それって、愉しいのか?嬉しいと思えるのか?

 

わからん…わからんぞ

 

 

 

 

 

 

 

2020っていうのは、なかなかに良い数字だとは思わないか?

 

何か特別な感じしないか?

 

何か重要な事がそこにマークされているようには思えないか?

 

旗が立っているようには?チェックポイントがあるようには?

 

自分の経過時間とは別の時間的数字だ

 

平等に、そこに設定された概念だ

 

何かあるとは思わないか?

 

何かしらのゲートかもしれないよな

 

折り返し地点かもしれん

 

終着である可能性も無視できんが、始点にもなり得るよな

 

カウントがゼロに戻るかもしれない

 

何か、特別な、タコなんだ…テンタクル

 

そいつを焼いて食ってしまってはどうだろうか

 

そうだな…スモークパプリカでもふりかけてみちゃあどうだ

 

夏休みだ、そいつにとっては、毎日が夏休みなんだ

 

銃を取れ、ダガーを構えろ

 

そいつは夏休みのバケモノだ、入道雲の向こうからやってくる

 

蝉の鳴き声で