ベドロポトスキー:被検体203に関して | ファニーポッターと賢者の意志

ベドロポトスキー:被検体203に関して

 

昨日、ちらっと聞いたセリフ

「私とバンドどっちが大事なの!?」

―そりゃあバンドだろうなぁ、そうでなくともそう答えるべきだ

 

自分が言われた事は無いけどよく見聞きするセリフ

 

「私と仕事どっちが大事なの」

これは酷い、これは駄目だ、酷過ぎる

仕事と言っておきながら別の事してるとかは論外として

そいつにとって仕事の内であっても付き合いで飲みに行ったりとかしてるなら、それはそいつにも責任がある、弱い立場であってもそんなふざけた習慣は潰す努力をすべきだ

…が、本当に、まじめに、仕事をしている奴に吐いた言葉であったなら、最低だ

生活を共にしているなら、"私"の為でもあるはうだ、100%ではなかったとしても

そうでなくても、必要だからそうしているはずだ、そいつがどれ程の苦痛や苦労を背負って日々生きているか、少しは考えるべきだ、自分の不満に捕らわれ過ぎだ

 

「私と友達どっちが大事なの」

これは難しい問題かもしれない

確かに、友人より恋人或いは伴侶を第一に考えるっていうのは素敵なようにも思える

が、「同性の友達一人も居ないような奴は人間性に問題がある」って考えにも賛成できる

友達を大事にする奴っていうのも素敵じゃないか、素晴らしいじゃないか

…ただ、こんなセリフを吐かせてしまった責任については考える必要があるだろうな

もう少し気を配ってやって欲しい

―この"私"が極端に自己中であったり理解の乏しい奴なら話は別だが

 

「私と趣味どっちが大事なの」

これはそいつにとって趣味というのがどういう意味を持つのかによって全然変わってくる

そいつの人間性も考慮する必要があるかもしれない

例えば、そいつが心身共に健康であり、趣味は趣味でしかない、いくら夢中になろうと、それが無くなったからといって精神に異常をきたすとかそういう事でない限り、少し身の振り方を改める必要が有りそうだ

しかし、傍から見てただの趣味であってもそいつにとっては生き甲斐や命綱的な役目を果たしているケースも有り得る…そいつが人間として未熟だったり社会不適合者であれば全然有り得る―そんな奴が恋人や伴侶を持つべきではないという考えは御尤もではあるが

その場合”私”はもう少し理解をしてやるべきかもしれない、相手を少しでも大事に想うのであれば

 

ただどのパターンでも言える事は

「そんな事言ったらお終いじゃないの」ってことだ

言わなかったとしても、そんな事思ってしまったら、もう、それは終わり始めてると考えるべきだろう

そんなセリフや考えは相手を思いやる気持ちが足りないからこそ出てくるものだ

それか、信頼関係がしっかり成り立ってない…か

だとしたら、どちらにも責任があるかもしれない

 

 

こういうのって何も、「私と○○どっちが大事なの」に限った事ではない

関係性や提取り上げる事柄が違っても、同じような構図に出くわす事は結構有る

 

その中でも凄く嫌いなパターンが有る

Aにとっては○か×かしかない、Bに対し○か×どちらなんだと詰め寄る

…が、Bにとってはそう単純な事ではない

本当は○を取りたい身でありながら、(Aから見て)×に受け取られかねない選択をせざるを得ない状況にあったり、強制的に×に近い選択を取らされたりする立場にある

…そんな事ってあるよな、誰にでもそんな苦しい状況ってのはあるもんじゃあないか?

物事はそんな単純じゃあないだろ、そんな上手い事いっちゃあくれないだろう

Bからすりゃあ、寧ろ、○を選ばせてくれよって嘆きたくなるような、そんな状況ってのがあるよなぁ、被害者ぶったAに詰め寄られるBが被害者だったりとかする事ってあるよなぁ、なぁ

それを理解しない、考えもしないAってのがいたりする事あるよなぁ、自分の事しか見えてねぇ奴がいたりするんだよなぁ、世の中そういう奴の方が多いんじゃねぇかって思わされたりする事もあるよなぁ

何だ、何でだ、邪魔をする第三者のせいか?Cって奴がいるのか?そいつのせいなのか?

それともよぉ、お前か、お前が考えられねぇのがいけないのか?そうかもしれないよなぁ、おい、そうは思わないか?そうは考えられないのか?お前は、お前の頭は!

また思い出しちまったじゃあないか許し難い事を

そういう物凄く嫌な思いをさせてくれた奴らの事を思い出しちまったなぁクソが

身勝手な事も勿論許せんが、そんな事より何より、その愚かさだ

自分の視点でしか物事を見る事ができない、考える事が出来ない

少しの客観性も持つ事が出来ない、他人の事なんか少しも思いやれない

そういう愚かさだ、そういう愚かさが許せんのだ

そういう頭の悪い奴はその愚かさにすら気づかない

それがまた許し難い、物凄く腹立たしいんだよなぁ

 

…てな事を、少しばかり考えてしまったんだけど

 

同時に気づくんだよな、そういう時って

自分も他人からそう見られちゃいないか、そう思われちゃいないかって

この件に限った事ではない、他人にとっての非常に許し難い何かに触れてたりしないかって

そいつはまずいよなぁ

 

不安って、それを訴えた側が少し被害者的な、少し優位に立ててしまうようなとこあるよな

けど、それってとても卑怯な事だよな

それに、相手からしたら、「信用されてない」って映りかねないよな

そう考えると、自分も気をつけないといけない事ってまだいくらもあるよな

これまで生きてきた中で刷り込まれてきた常識や感情や諦めや傷のせいであったとしても

他人からはそんなの知った事じゃあないからな、そんなのは言い訳にもならんよな

気をつけないといけない、ただ気をつける必要がある、それだけだ

 

 

ただ、他人の立場や境遇状況を考慮したり、客観的視点で見たり考えたり、常にいろんな可能性を考慮したり…そういうのって、全ての人間に必要な事だと思う

少なくとも、他の人間と関わるなら

それができなきゃあ、真実が見えないし理解できない、自分の不満しか残らなくなる

 

 

 

最近、よく嫌な事思い出すよなぁ

何か邪念的なもの受けちゃってんのかもしれんなぁ

全部跳ね返してやりたいなぁ…自滅すればいいのに