連絡を取り合うという事に関してなんやかんや
とりあえず概要的な事
なんとなく上から感があるように思えるかもしれないけど、そうではなくて
「こういう奴が居たとして、じゃあどう考えるかどう対処すべきか」を客観的に考えたので
他人の事のように書いた結果こうなった…という感じ
まず、連絡手段とそれによって生じる問題とその原因、それに対する主な対策
■電話・メール・LINEの場合
問題:集中の難化・圧迫・罪悪感
原因:集中したい時に通知が来たりすると集中切れる
・毎日しなきゃいけない感じ等、義務にになるとプライベートな時間を圧迫される
・上記の問題を回避する為、無視や後回しといったことをしてしまうと罪悪感に苛まれる
・特にLINEの場合は顕著で、あれは「リアルタイムで返すのが当たり前」感がある為、尚更罪悪感を強める
・充分に罪悪感が蓄積された状態だとそもそも何かに取り組むという事自体困難になる
対策:一番簡単なのはこれらの手段を使わない事
・電話の場合はいきなりでなければ問題無いので先に断りを入れる、予約しておく…等が有効
・メール・LINEの場合は返信できる時間帯を明確にしておく、複数用件がある場合は一通にまとめる、頻度を抑える
・LINEならばその性質に合った使い方をする(一言言いたい時、緊急連絡、呼び出し等)
■SNS上のDM等の場合
問題:罪悪感・圧迫・不安
原因:返信が遅くなると遅くなった分だけ罪悪感を負う事になる
・それが日常的に積み重なると日常的に罪悪感と付き合わなければならなくなる
・派生して、日常的に待たせたり我慢させたりしているという意識は「うんざりされる・見限られる」という不安を肥大させる
・義務的な空気になってくるとプライベートな時間を圧迫されていると感じるようになる
対策:返信できる時間帯を明確にしておく、どれくらい待たせても大丈夫だという了承を得る、頻度を抑える(抑えるのは返信可能時間内のみ=返信できないと把握できている時間帯に一方的に送りつける等は無問題)
■ブログ等で間接的に意思疎通を図る場合
問題:不安・(場合により)圧迫
原因:取り決めが有る場合書く事がないと申し訳ない・つまらなそうに見えると不安
対策:取り決めしないで自由に勝手に書けば良い、私は書く、たまに、たぶん
■上記全てに共通の問題と対策
電話やリアルタイムでのやり取りの場合、切るタイミングというのが非常に難しい。時間を決める、最後の言葉を決めておく(それ以降は返信なくても凹まない勘ぐらない対策)等の対策が必要。また、最終的な気分・感情を信号機的な3段階とかでも良いので表しておくと余計な誤解や不安を残す危険性を回避できる…はず。
連絡を取る事全般への対策としては、頻度を抑える、たまには敢えて放置する、身勝手な方向に振り切る、不満があったら遠慮なく言う罵る…等が主要と思われる。
連絡とかに限ったことではないけど、一番大きい問題は罪悪感だと思われる。
返信を待たせる・連絡の取れる時間を制限する・そもそもそういったルールに付き合わせる…全てが罪悪感に繋がる。
罪悪感が蓄積されるとバランスが崩れる、平静で居られなくなる、冷静な判断ができなくなる。
なら何故、そうしなければならないか、何故理解してもらわなければならないのか…
元々の性格―神経質だったり強迫観念に囚われがちだったり―も勿論だけど、人と上手く関わるのが苦手、人とリズムを合わせるのが苦手、長い事人と関わる事を避けてきた…といった理由により、更に「人と関わる上で自分のバランスをとる」という事が難しくなってしまった…のだと思う。
昔は孤独に対してかなり弱かった、孤独を恐れてすらいた。けど克服(と言っていいのかわからないけど)できてからは寧ろ一人で居る方が余程安定安心できるようになった。
人と関われば、独りでは発生しないような問題に多く見舞われる。「独りでも良いのに、何故面倒と向き合ってまで興味のない相手と関わらなければならないのか」…と強く思うようになってから、SNSも殆ど使わなくなり、自分からは勿論、人から声をかけられても極力避けるようになった。
仮に関わることになっても、自分の都合を優先し、メール等も気が向いたら気が向いたように返す…程度。身勝手とも言えるが、そもそも合わせる必要がない、僕は関わる事を望んでいないのだから、当然の対応とも言えると思う。(勿論相手には自分がそういう考えである事を断った上での事)
その程度の適当な付き合い方でなければ、自分のバランスが取れない、それ以上の深い関わり方なんて到底無理な事になっていた。
その間、人と関わる事を避けていても、当然ながらストレスや悩み失望絶望といったものは湧いてくるし向き合ったり対処しなければならない。その主な対処法が独りの時間に没頭する事になった、他人を巻き込むよりずっと良い。
しかしそうしていると次第に、その時間を充分に確保できない事が自分を崩す原因になってきた。問題の発生源を確保しなければならないという馬鹿げていながらも笑えない状況になってきた。
そうなるともう、完全に「人と関わるべきではない人(人というのもおこがましいが)」だ。
にも拘らず、どういうわけか、そんな状態になってからも多少人と関わる機会というものはあった。それがいけなかった。
そうした結果、尚更人と関わるのが嫌になった。更に問題が増えた。マイナス思考や被害妄想が強化され、より人と関わる事が困難になった。
―平行して、自身の内面の問題も増えたり悪化していったように思う。より神経質になり強迫観念に取り付かれやすくなった。
だから…だ。流石にもう、関わる事はないと、二度と関わってはいけないと、関われないと、そう思っていた。当然今まで以上に関わりを避けた。そうすべきだし、そうしなければならないと思った。
―その結果が、今の状態。
そもそも人と関われるような人間ではないのだ。色んな意味で。悪い意味で。
そんな奴が人と関わろうとするとどうなるか…面倒な問題が山積みだ。
自分の時間を確保しなければならないし、相手にとって不十分な対応が当たり前で…そうなれば罪悪感を無視できるわけがない。
なんとか理解を得て上手くやれないものかと考えても、それは相手からすればかなり身勝手な話だ、仮に理解してくれたとしても納得してもらえるか、納得してもらえたとしたら尚更罪悪感を負う事になる。
…つまり、どうしたって罪悪感は避けられないし、どうしたって自分が身を退くべき状況にしか思えないわけだ。
しかし、もし、僕の問題を、欠陥を、殆ど苦もなく理解納得できる人が居たら…無理なく受け入れてくれる人が居たら…
もし有り得るなら、可能なら、赦されるなら…まず説明しなければならない
きっと説明したとして
「お前如きが自分の時間なんぞ確保して、一体何をしようってんだ?え?俺が相手してやろうってのに、それを差し置いてまで一体どんな大層な事があるってんだ?なめてんのかクソが…っておい、聞いてんのか、もしもーし!」
と思われるのがオチだ。それが普通だと思う、当たり前だと思う。
こんな状態で、こんな僕が、関わろうと思えるなら…その人より優先すべき事なんて無いだろう、あろうはずもない、本気でそう思う。
しかし、そうじゃない、優先順位とかそういう事じゃあない。
自分を保つのに必要なんだ、それが。そして、自分を保つ事は、関わりを、繋がりを保つ為に必要だ。
…やはりどう表現しても、身勝手な事にかわりはない、事実だ。
ただ、「自由でありたい」とか、「勝手気ままにさせて欲しい」だとか、そんな理由じゃない事だけは断言させて頂きたい。
クズのくせにと思われて当然だが、実際は「クズだから」だ、それくらいのハンデがなければ最低辺の人間として自己を保つことすらできないクズだからだ。
きっと、このブログにも、その事実を把握するのに充分過ぎるくらいのクズの思念が垂れ流されている。
恥でしかない。恥と後悔しかない。が、こんなクズが人と関わるには、せめてどれほどのクズなのか、判断できるよう情報を開示しておくべきだ。
それがこれだ、こういう場だ。だから恥を垂れ流してもそのままにしているのかもしれない。
…なんか、そもそもの趣旨から大分逸れた気がする
意味があるのかどうか…ちょっとわからない