結局都合良いとこしか見てないんだよアンタは
うっかり何か言いたくなるような話題出してくるの困るなぁ
直接反応できないモヤモヤ感
普通に会話できる相手じゃないもんな
…普通に会話
結構難しいもんだよな
たぶん、ほんとに気兼ねなく接することができるような相手じゃないと無理だ
「全く気を遣わない」なんてのはまあ有り得ないとしても、だ
比較的気兼ねなく…かな
そんなの無理だと思う、そんな相手早々出逢えるものじゃあない
嫌なんだ、不自然な会話をしなきゃあならなくなる状況が
今日もホーリーランド観た
マンガ読んでた時はどうだったか覚えてないけど、考えさせられた事がある
嫌な事だけど、考えたくない事だけど
こんなの、ここに書くのもどうかとは思うけど
なんか嫌だ、ちょっと吐き出さないと何か気持ち悪さが残る
下手したら下ネタよりも触れたくない類の話かもしれない
少なくとも人に話すような事じゃあない、相手が男だろうと女だろうと
ホーリーランドという作品の主題は、(素直に受け取るなら)決して暴力や喧嘩等ではない
しかし、ぱっと見はやはり喧嘩やヤンキーとかって要素が主なように見られてしまうと思う
いや、マンガとしてはそういう要素無かったら確かに成り立たない部分はあると思うけど
大事な事はそういう事ではないし、そういう事を肯定するものでは無いはずだ
けど、それでも考えさせられる事がある
自分が望もうと望むまいと、性別"男"として生を受けてしまった場合、どうしても無視できない事がいくつかある(勿論、"女"は女で"男"とは別のそういう何かが有るはずだと思う)
その内の一つが、「力で相手を退けられるかどうか」
中高生的な表現で言えば、「喧嘩が強いかどうか(喧嘩で勝てるかどうか)」だ
…こんなの、絶対人前では言えない、言いたくない事だ
大抵の女性は、男が"喧嘩"なんてワードを出すだけで見下すか引くかするんじゃないかと思うし
なにより、自分が嫌だ、そんな話をするのは物凄く恥ずかしいし、知性の欠片も無いと主張するのと同義に思える
単純に言って、好ましくない、美しくない、顔を歪めて避けたいジャンルの話だ
しかし、しかしながら、それが無視できないってのがまた嫌なところなのだ
避けたくても避けきれない、生きていて一度も暴力に対面しないという人は居ないんじゃないだろうか
で、世間的な常識として、「男というのは強くなければならない」とかいう無責任な教えが在る
「男はこうあるべき」「女はこうでなければならない」…そういうのいっぱいあるけど
その多くは、自分がこうだと思えば無視できるような事だ
本当に馬鹿げた決め付け、ふざけた常識、そう思うしそう流せる
それでも、そうできない事ってのがある
その内の一つが、「肉体的な強さで勝てるかどうか」という、とても野蛮でくだらない事なのだ
ほんとそう思う、野蛮でくだらない、アホ臭い
なのに、そう思っていてもどうしても避けられない事なのだ
考えずには居られない…というわけではないけど、避けることはできない
もし完全に避けてこれた人が居るなら、それは幸運だと言わざるを得ないと思う
生きていれば嫌な事なんてどうしても向かってくるしぶち当たるものだ
暴力や喧嘩もその内の一要素であり、一度も経験しないなんてのは無理な話だ
で、男というだけで何故か、そのくだらない事が重要な事として常に付き纏う
…いや、全ての男性がそう思うとは思わない、そう感じない人だって大勢居るだろうし、ぶち当たっても一つの不幸としか思わない人も居るだろうし
けど、少なくとも、僕はそのプレッシャーみたいなものは無視しても付き纏うものだと感じている
男という性別に設定されたばっかりに無視できないのだと感じている
これは何も人間に限ったことではなくて、動物界でも同様の事実が存在する
例えば、人間に近い哺乳類である類人猿
群れのボスとかナンバー2とか、そういう概念が存在していて
オスは度々ナンバー1の座を賭けて闘う
元々ボスであったオス猿が負けた場合、下手するとナンバリングすらされていなかった猿よりも立場が悪くなったりする
そういう社会性のルールがあるのか、本人の気持ち的な問題なのか、そこんとこは良く知らないけど
争いに負けたオスは心底落ち込み、まるで鬱状態のようになる
そして、猿の社会の中で虐げられるわけだ、生きた心地がしない、社会からはみ出したようになってしまう
人間はそこまではっきりとは影響しないかもしれない
他の哺乳類よりも知性が優れている(と考えられている)し、他に大事な事がいくらもあるからだ
生きていくのに必要な要素も他にいくらもある…寧ろ肉体的な力と言うのは日常的な範囲に於いては、日々継続して働いていけるかどうかにしか掛からないかもしれない
しかし、それでも、本能的に刷り込まれているものがあるんだ、きっと、動物的な本能として、また一般常識的な刷り込みとして
喧嘩が好きな奴なんてのは本当にしょうもない馬鹿だけだろうし、勿論僕も争いなんて好まない
「喧嘩が強い」なんて事には少しも憧れないし敬う気にもなれない
それでも…だ
肉体的な喧嘩に負けた記憶はしっかりと残るし、大袈裟に表現すればトラウマにもなったりする
人間の社会で生きていくうえではほぼ全く不必要だと思っていても、何故か、大きな喪失感を負うことになる
ケンカなんてものは必要無いと思ってるし、暴力なんて受けても与えるべきではないと思ってる
それでいい、はずなのに…だ
何故か、大きな自信喪失に繋がっている、自分は敗者だと刷り込まれる
肉体的な敗北が人間としても社会的にも劣っていると思わされてしまう
例えば、同級生に言葉で侮辱されたとして、その場合、無視する・言い返す・暴力で捻じ伏せる…といった選択肢が有る
その場合、人としては無視するのが正しいと思うし、言葉による侮辱には返すとしても言葉で返すまでに留めるのが正しいと思う
口に対して手が出る奴というのは問題児と相場が決まっているし、実際実に愚かで野蛮だ
例えば、街で不良にからまれたとする
その場合、正しい対処というのがあるとすれば、恐らく、できる限り相手にせず受け流す姿勢をとるべき…だと思う
道徳的に考えても、それが正しい…はずだ、暴力を行使しない受けない、そういう立場を貫くのが正しいはずだ
しかし、世の中には喧嘩っ早いバカと言うのが存在する
そういうバカは、勝てる見込みがあるかどうか考えもせず手を出したりする
そんなのは本当にバカだと思うし、そんなとこには微塵も男らしさというものは感じないし、強さや勇気すら有るとは思えない、ただの愚考であるはずだ
そうは思っていても、そういう奴が存在する、迷わず恐れず暴力で勝負に出る奴がいる
それを踏まえて考えると、争いを避けた(正しいはずの)自分が弱虫というやつなのではと思えてくる
道徳的に理性に従ったつもりでも、どこかで「逃げた」のではと思えてしまったりする
そういった経験は残る、心の片隅にであっても、いつまでもしつこく居座り続ける
これまた嫌な話だが、個人的な話で言うと
幸いなことに(…なのかどうなのかはわからないけど)所謂ケンカという状況からはっきり逃げたことは無いし
ケンカにはっきり負けた…というのは身内唯一人だけだった気がする
…が、その少ないながらも負けたという記憶ははっきりこびり付いているし
逃げたことは無くとも、肉体的な強さに自信が有ったらケンカふっかけてたんじゃないかと思うタイミングはいくつか思い出せる
そして、それらの記憶・経験は敗北として記録されている
他人からすれば、敗北がどうだというんだって思えるかもしれない
けど、僕にとってそれは、明らかに、あらゆる自信喪失に一役買っているし
少なくとも「男としてダメだ」という確信を持たせているように思う(人間としてダメだってのは他にいくらもきっかけが有るけど)
ケンカというどうでもいい事一つとっても、昔は少しも恐れたりしなかったのに、今では出切る限り避ける姿勢をとると思う
その場合、道徳的判断であったとしても、逃げなのではないか、弱虫ってことなのではないかと思わずには居られないと思う
それがまた更に自分を失望させる
「男としての自信」なんてのは何かキモチワルイ感じすらするし、要らないとも思うのだけど
男として生きていかなければならない社会に於いて、僕は圧倒的敗者だと認めざるを得ない
そんな事を考えると、「許し難い奴を暴力で捻じ伏せることができるかどうか」というのは、場合によっては重要な事なのではと思えてくる
実に愚かで野蛮な事なのに、馬鹿馬鹿しい事のはずなのに
きっと、本来自分は、そういう野蛮で愚かな生き物に属しているのだと知っているから…なのかもしれない
馬鹿馬鹿しい常識を無視しきれない弱さのせい…とも言えるか
結局、どうあっても「敗者だ」という意識に繋がる
…嫌な話だ
ほんと嫌な話だ
「本気にならない」とか、「勝てない勝負はしない」とか
そういう姿勢もはっきり敗者たる証だよな
自分にも人生にも負けたからこうなってるんだ、きっと