第三回 人は皆運命の奴隷・・・なのか?
運命の奴隷・・・ということは、つまり運命には逆らえない・・・ということだ。
第一回で、「運命は自分次第で変えられる」と言ったんじゃなかったっけ・・・?
・・・と思うかもしれないが、実は完全にそう思っているわけではない。
細かい部分ではいくらも変わっていくとは思う。
しかし、大きなポイントや、「最終的な結果」というものはどうなのか・・・?
まず、絶対に変えられない運命というものがある・・・
もはや運命とは言えないのかもしれない・・・それは「死」・・・だ。
これだけは人間・・・いや、生き物全てにおいて言えるが変えることはできない。
せいぜい延ばすぐらいのことしかできない。
永遠に生き続ける・・・少なくともそんな話聞いたことないし、あったとしても公にはされていない・・・つまり常識では「死」という結果は当然のことだ。
「なんだそんなことか・・・」と言わず続きを・・・。
ここまではおまけみたいなものだ。
まずはいきなり極端な例をあげてみようと思う・・・
「とても貧しい暮らしをしている人、家すらも持っていない人・・・そういった人が世界的に有名な大富豪になる」・・・こんなことは普通では無理だ。
奇跡でも起きない限りありえないだろう。
例えば油田発掘とか、たまたま拾った宝くじが当選・・・とか、しかし場所によってはそれすらも無理だ。
これはつまり、「とても大きな悪い方向の運命」に乗ってしまった・・・ということだ。
(初めからそういった生活をしていれば小さなことでも幸せに感じられる・・・といったことは無しとして)
その運命を変える為には、それ以上の「良い方向に向かう運命」に乗らなければならないはずだ。
「悪い運命」に比べ、「良い運命」の割合は非常に少ないように思う。同じ割合でもそれは非常に困難なことだろう。
しかし、普段裕福な生活をしている人と、貧しい生活をしている人とでは同じことでも感じ方が違うはずだ。
つまり、人によっては「良い運命」と「悪い運命」の内容は大きく違うはず・・・
となると・・・運命を変える難しさは人によって違う・・・?
運命を変える力とは何か・・・?
結局答えは出ないのか・・・?
これは人間にとってあまりに不可解なことじゃないか・・・
そう考えていくとそれ自体が「運命に囚われている」ように思えてくる。
神でもなければ知り得ない・・・神でなければ運命を抜け出せない・・・?
人間の域を超えない限り人は「運命の奴隷」・・・ということになるんじゃないか・・・?
運命を変えたつもりでも、それ自体初めから決まっていたことなんじゃないか・・・?
・・・そんなふうに考えていくと、どんどん「運命に囚われている」という感じが強まってきてしまう。
やはり、その答えを知るか、確実に自在に運命を操れでもしない限り・・・
「人は皆運命の奴隷」・・・なんじゃないか・・・と思えてしまう。
それができなければ、もはや「自分の気持ち次第」としか言えないだろう。
いかに自分で「運命を変えた」と思える行動が起こせるか・・・
もっと単純に言えば、いかに満足のいく人生を送れるか・・・
それが人にとって答えの限度なのかもしれない・・・。
それが人にとっての最大限の抵抗・・・?
・・・限度? ということは・・・やはり、
「人は皆運命の奴隷」・・・!?