第一回 運命の存在 | ファニーポッターと賢者の意志

第一回 運命の存在

これから運命について書いていきたいと思う・・・。

運命について・・・自分の思ったこと、個人的な運命の解釈を・・・。


まず、「運命を信じるか・・・」と聞かれたら・・・

「信じるも何も運命とは日常でありごくあたりまえの存在だ」

と答える・・・。

『運命』という 言葉は辞書によると

 「人間の意志ではどうすることもできない力.また,そのなりゆき

 超自然的な力に支配され人に訪れるめぐりあわせ

・・・こんな感じで書かれている。

要はそれを信じるかどうかだ・・・。

運命についての考え方は大きく分けて3つになるだろうと思う。

運命は存在し、人は決して逆らうことはできない。

運命は存在するが、自分の手でかえることもできる。

運命なんてものは無い。人生は自分で切り開いていくものだ。

・・・といった感じになるだろう。

は、「人生というものは完全に支配されている」・・・という考えにつながるだろう。

 完全にそう信じ込んでしまえば生きる意味も希望も見出せなくなるだろう。

は「人生は多少運命に左右されても、自分の力次第でいい方向に持っていくことも可能だろう」

 ・・・といった感じで、どうにもならないことがあるかもしれないと思いつつも希望は持てる考え方になる。

・・・これは完全に「自分次第」という考え方。とはいえ、「人に左右されることはあるだろう」

 という考えは持ったりするのだろう。この考え方では人間同士の関わりが人生を左右することになる。


この3つから選ぶとすれば自分の考え方はになる。

運命は当然存在し、人生を動かしていくが自分の力次第で悪い運命を良い方へ動かすこともできる・・・と。

何故そう思うのか・・・理由はないのかもしれない。少なくともはっきりとは思い浮かばない。

しかし、考え方によっては「人との関わりで左右される」というのも運命といえるんじゃないだろうか・・・。

確かに「超自然的な力」ではないが、他人の考えや行動は普通自分の力でどうにかなるものではない。

自分は長生きをするつもりでも、突然の事故によって死んでしまう・・・それはどうにかなるものではないし、通常なら知ることすらできない。

の考えで「それは自分の力が足りないだけだ」と言う人もいるかもしれないが・・・それはヘリクツというものだろう。


運命とは、必ずしも「超自然的」なものではなく、「日常そのものにある」・・・そう思う。