上の記事では、親御様がリベンジしたいということ。
子供の受験を親の執着心のために利用するなんて・・・と思う人が多いのは、そうですよね。私もこの考え方には完全反対です。仮にこの計画が成功裡に終わったとして
「お兄ちゃんが出来なかったことを、弟君ができて、お父さんは満足だよ!」
とこの兄弟が言われたとき、二人ともどんな気持ちになるでしょうか。
そもそも私は、学問の世界にリベンジ思想を持ち込むことを忌み嫌っています。特に中学受験では禁忌としています。
小学生は、まだまだ学問の入口にいるに過ぎません。それは優等生でもそうではなくても。
学問とは、
自分の外の世界を知り、自分の内面を見つめ、自分と周りとの交わりを知り、周囲と協調しながら継続して努力して自分を高めていくこと
だと私は知っています。そのことを深く認識出来れば、中学受験は合否に関わらず成功ですし、そうでなければ合否に関わらず失敗です。
学問とは、
感謝の気持ちを高めていく、建設的な精神的働きです。リベンジ思想はその真逆をいく破壊的思想ではないですか。
リベンジの先に何があるのでしょうか。リベンジが達成できれば幸福になれるというわけではありませんよね。そこにあるのは虚無だけではないかと思います。
幾太郎には、一つ下に弟、四つ下に妹がいます。私達三兄弟は、母親のリベンジ思想の強い環境下で育ってきています。母親が成し遂げられなかった高学歴社会に挑んでほしい気持ちがあって、私達が育ってきた面があります。
しかし、私達は三人いたので、その思想を緩やかに持ち合うことにより、反骨精神はありながら、変な学歴主義に染まることなくここまでこれたように思えます。結果としてバランスが保たれたと感じます。
もし、私が一人っ子で、強く思想を受け続けたのであれば、まともな人間にはなれなかったのかもしれません。
以前の記事で、幾太郎家では「勉強しない人は犯罪者になる」と言われながら育ってきたと書きました。それは、そこまでは悪い教育ではないかもしれません。しかしその教育は「勉強しなかった人間、つまり学の無い人間は、犯罪者同然とみなしてよい」という思想を生んでしまいます。そんな考え方を持っている人間こそ、既に犯罪者です。
いくた