幾太郎が医学部受験指導を始めて18年が経過して、医学部に進学した教え子は116人になりました。
いろいろな生徒がいました。
読者の方にいろいろとご参考にしていただけるように、プライバシーの観点から若干フェイクもいれながら、特集していきたいと思います。
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まだまだ私が医学部受験の世界で駆け出しだった頃の話。
三浪していた女子。もう20歳なのだから女子と呼んではいけないのかもしれないけれど。
お母様の話によると、中学生の頃はモチベーションも高く、学習意欲もあり、活発な女の子だったそうです。しかし、高校に入ると徐々に様々なことにやる気を失い、勉強もあまりしなくなってきたということです。それはずっと続いているということでした。
年度の最初はクラス授業を受けていました。徐々に朝の授業に出てこなくなり、6月からは個別指導に切り替えて昼以降にしか授業を組まないことにしました。
そこから私は個別指導で数学を教えていたのですが。
彼女は昼以降の授業でも欠席する日が多くありました。起きられないわけではありません。ちゃんと朝起きるのですが、教室になかなか足が向かないのです。スタッフもどうしてよいのか分からず、もうお手上げの状態でした。
しかし、彼女は医学部に合格してしまうのです。ある大学のAO入試で。
もともと中学のときには優等生だった彼女です。基礎的な学力が問われることも多いAO入試では中学時点での貯金が利いたのかもしれません。
11月の時点で進学先が決まってしまった彼女は、年末までは私の授業で大学教養課程の予習を行うことになりました。しかしそこで驚くべきことが起きます。
毎朝どの生徒よりも早く予備校に登校するのです。
彼女が朝登校できなかった理由は、医学部に入らなければいけないというプレッシャーによるものだったのでしょう。中学時点ではそのプレッシャーも感じずにやれていたのですが、高校に入ってだんだんとそのクビキに心を蝕まれていったのです。クビキが外れた彼女は本来の輝きを取り戻し、立派に立ち上がっていきました。
彼女は私に言いました。“人は変われるものです”
その言葉を私は否定しませんでしたが、心の中で訂正しました。“立場が人を変えるものです”
当時の私にはまだその心のクビキに気が付いてあげる能力がありませんでした。他のスタッフと同じように、彼女は不真面目な怠け者だと思っていました。とんでもない勘違いでしたね。教科の指導だけではなく、様々な環境に気が付いてあげられないと、私達の仕事は成り立ちません。
彼女は今ではもう立派な医師として、活躍しています。
いくた
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