中学受験なら仕方ないわな | 中学入試と医学部入試の道の駅

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東洋経済オンライン 1/17の記事

少し前の記事なのだが、現代中学受験のリアリティを感じる。

私がこの記事で注目したかったのは、2ページ目の下の方に書いてあるお母さんの話。

国語は上位だけど、算数は意味の理解に執着して公式の運用が円滑に出来ないというようなこと。

私がこのことに対してどう感じたか。

この子は将来楽しみだわ。

中学受験の親御様は気が付いているのかもしれないけれど、受験算数はある程度のところまでは塾の先生の言ったことを鵜呑みにして、思考力を働かせ過ぎずに即断解法でいく方がよい結果になる。

しかし、それはある程度まで。高校の理数系科目ではそれは通用しない。理解が伴わない知識は定期試験をこなすためだけにしか利用できない。大学受験には少しも役に立たない。むしろ理解を伴わない中途半端は逆に邪魔な知識。そして理解度を左右する能力は国語力。

私が指導をするとき、特に物理や化学を個別で指導するときに感じること。私はノートに書きながら教えていくのだが、結局書いたことはほとんど問題集の解答冊子に載っていることと同じ。公式をそのまま適用したものだったりするわけだ。
でも説明のときには、その公式がなぜ適用されるかの背景や、事象の具体性を交えて話をするから理解ができる。解答冊子を読んだだけでは表面的にしか分からないことを深い理解に落とし込める。

でも公式を見て、上滑りしただけの知識で留まることを認める人は、そもそも自分の未理解の部分が存在することすら分からないのかもしれない。分からないなら質問してはっきりさせればよいのだが、それが出来ないことになる。
出来るはずのことが出来ないとか、わかんないとこがわかんないとか、この理系科目の末期症状は国語力の欠如または学問に対する誤解、その両方が作用して生じるもの。

東洋経済オンラインに当時している女の子は、こういった状況になりにくいと思われる。お母様にとってはこういう子は、ヤヤコシイと思うのかもしれない。分からないことはとりあえず呑み込んでしまえば何とかなるのに、、、と思うのかもしれない。でもそれは中学受験までね。

このような女の子は、高いコミュニケーション能力で裏打ちされた、オリエンタルリケジョになってほしいと私は思う。

いくた