観念論について、少し詳しく見ていきましょう。
観念論は……意識の諸規定を知性の働らきから説明する。知性は観念論に取つて唯能動的であり絶対的であつて、所動的ではない……知性には何等本来の存在、何等の成立も属しない……知性は観念論に取つては行であり、絶対的にそれ以外何ものでもない(53頁。ドイツ語は省略、以下同)。
この知性の働きによって「規定された」表象がやって来るのです。
その表象とは、私たちの意識に現れる世界、現に存在する、実質的な、空間においてある世界です。
そして知性は、知性自身の本質に従って、ある仕方で働きます。
そこには、働きの法則、つまり知性の必然的な法則があるのです。
観念論が、知性のこの必然的な法則の予想をなす限りにおいて、それは、批判的観念論または先験的観念論と呼ばれるのです。
これに反して、超越的観念論は、自由で無法則的な働きから規定された表象を導くので、これは全然矛盾する予想だといいます。
「知性の仮定せらるべき働らきの諸法則は、それらが確かに知性の唯一の本質の内に根拠づけられてあるべき限り、自から一個の体系を形成する」(54頁)のです。
観念論を少しまとめてみましょう。
人が自由にある概念を思い浮かべるとき。
その人は、自分がある一定の仕方でやるように余儀なくされている、ということに気づくでしょう。
ここで、二つに分かれます。
一つは、自由によって遂行されるもので、もう一つは、必然的なものです。
後のものは、知性の本性に根拠づけられていて、恣意に依存しません。
観念論は、最初に根本命題として設定されそして意識に於て直接立証されたものが、同時に尚他の或るものが起ることなくしては、可能でなく、而してこの他のものは同時に第三の或るものが起ることなくしては可能でない、と云う事を示し、かくして遂に、最初に挙示されたものの諸制約が完全に尽され、このものがその可能性の上から全く理解されるに至る迄に及ぶのである(61頁)。