「東日本大震災の個人的記録」と副題がついた曽野綾子の『揺れる大地に立って』。
東京大空襲で一晩に約十万人が焼け死んだ戦争を体験している著者は、東日本大震災でもさほど動揺しなかった。「幸福も長続きしないが、悲しいだけの時間も確実に過ぎていく。どん底の絶望の中にも、常に微かな光を見たからこそ、人は生き延びてきたのだという事実を体験しているのである」という。
著者は「いかなる情況にあろうと作家は常に自分を保たなければいけない。日本人一億二千万分の一にすぎないが、そのような一人の個人が見たことを記録するのが、作家の任務」と認識して、この記録を書いた。
●誰もが平等と公平を希求する。しかし、希求することと、それがいとも簡単に実現するように思うこととは、全く違う。
●「安心して暮らせる生活」などない
●この世には誰もまだやってみなかったことに関しては、誰も正確な答えを出すことはないという鉄則があることは本当だ。ところが、しばしばそれは無視されて、人間があたかも神のような正確な答えを出さねばならない、と迫られる。
●電気と水と食料だけは余力を持っていなければ、ならない。
●私の周囲には「世界の人々は常に平和を望んでおり、みんなが望みさえすれば平和は実現するのだ」式の思想が渦巻いていた。そうでない現実を見極めようとすると、それは戦争を煽る右翼だの、平和憲法に違反するだの、理想に鈍感なのだといわれかねない風潮にあった。人間生活の基本には、貧困も我欲もあり、それを放置しておけば他者のものを奪おうとする自然な力が発生するということは絶対に認めない人々である。
●「絶対」ということはないのだ。どんなことにもこの世で例外が起き得る。絶対に起きない事故もなく、絶対に心変わりしない愛もない。だから断定と保証ほど恐ろしいことはない。