2011年3月11日に起こった東日本大震災の翌年、作家の曽野綾子とドイツ在住ジャーナリストのクライン孝子の対談。


リベラル派の作家やジャーナリストが圧倒的に多い日本で、数少ない保守派論者の二人。


ここまで言ってもいいのかという発言もあるが、戦後骨抜きにされたともいえる現代の日本人への箴言に納得させられるものもある。


●原発事故について

・こういう場合、自らの責任逃れのために、当事者はいち早く格好のスケープゴートを探して、それに責任をおしつけるのをよしとします。

そうではなくて、こうした大事故に遭遇したのをきっかけに、私たち一人ひとりが責任の一端を担って、今回の事件と対峙して次の対策を講じる。なぜそういう流れにならないのか不思議でした。  (クライン)


・リスクのない人生なんてないんです。それが、私のように「早く安心して暮らせるようになりたい」なんて言っている。日本中に安心病が蔓延しています。 (曽野)


●逆境を生き抜く力を育てる

・人間の運命は、単に幸運だ、悪運だ、で、簡単に結論づけられない。自分ではどうにもならない避けがたい運というものが各々人間にはあるような気がします。 (クライン)


・それゆえに、そこで、幸運にも生き残った人は、偉大な志とか、愛とか、人生の希望とかを持ちつつ息絶えていった人たちのことを後世に伝え、志遂げずに死んだ人の望みの肩代わりできたら、と思う。

(曽野)


・人間は万能ではないのですから常に謙虚であるべきで、それって大事ですよね。一方で、自分の思うようにならないからと、むやみに自分を責めたりするのもどうかと思う、何事もケセラセラというか、自然に任せてなるようにに生きていけば良いのではないのって感じです。 (クライン)


・したいことだけをしているというのは幼児なのね。大人はそうはかない。そうして、したくもないことをした時、思いがけず人に感謝されたり、必要とされたりする。そこから生きていく意義を見つけ、不思議と心が満たされる。生とはそういうものではないかと思います。 (曽野)