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2週間前に堺屋太一の「団塊の秋」を読んだので、30年ほど前に書かれて話題になった「団塊の世代」を読んだ。
有名な題辞;
1960年代の「若者の反乱」は、戦争直後に生まれた人口の膨らみが、通り過ぎる風であった。
かつてハイティーンと呼ばれ、ヤングといわれた、この「団塊の世代」は、過去においてそうだったように、将来においても数々の流行と需要を作り、過当競争と過剰設備とを残しつつ、年老いて行くことであろう
で、「団塊の世代」という言葉が一世を風靡した。

「団塊の秋」はこの続編で、かつてのハイティーンやヤングが引退して、高齢化社会においてどんな人生を送っていくのかオムニバスで描かれている。
円安、物価高、産業競争力の喪失と暗い近未来を背景にしているので、読んでいても元気がでない。
また、電気守を含め我々でも予測できる生きかたが描かれていて、少し拍子抜けした。

一方、「団塊の世代」は、昭和51年に書き下ろされた。前年に中東からの石油輸入が制限されたときに日本はどのような状況下におかれるかを描いた「油断」の作者だけあって、堺屋さん得意の石油調達に関する記述には深い洞察が窺えるが、さすがにバブルとバブル後の長期にわたるデフレとか消費税導入は予測できていない。
グローバル経済の影響や時の政権の経済政策に左右されるバブルやデフレを読むことができないのは無理もないこと。それより若い頃は安い給料で高度経済成長を支えた世代が、中年になってある意味会社の厄介者扱いされる悲哀を的中させているが、当時も予測の範囲内だったろうか。

第4話「民族の秋」は、高齢化して貧しくなる日本で、老人対策に金を使うのか、若者世代の負担増を増やさないようにするのかという今でも通用する議論が30年前に描かれているのには感心した。
結末で、団塊の世代が若者世代に、「先のことを考えないで、福祉だとかレジャーだとかで民族のバイタリティーをことごとくその日の消費に使ってしまった責任世代なんですよ」と非難される場面は、世代間対立を予測している。

2週間前に読んだ五木寛之の「新老人の思想」で、「新老人階級」という言葉が使われていたが、これから世代間の階級闘争とまではいかなくとも世代間対立の時代がやってくるのだろうか。

若い世代が老人対策の高負担に耐えかねて反乱を起こさないように、これから高齢層に入っていく我々は、安易に年金に頼らず自立する道を探っていかなければならないと思うこの頃である。