シクストゥス5世のローマ大改造について | Espressoのブログ

シクストゥス5世のローマ大改造について

国を代表する首都の大改造で一番先に思いつくのはオスマンのパリ大改造ですが今回はローマの大改造についてのお話です。

今日、イタリアのローマに訪れ古代ローマの時代からルネサンス期の様々な歴史的な建造物をみることで私たちを楽しませてくれるローマの都市ですが、1527年に起ったローマ劫略により荒廃したローマをバロック様式漂う都市へと大改造したのはローマ教皇シクストゥス5世(Sixtus V 1520 - 1590)です。

教皇シクストゥス5世

シクストゥス5世は、ローマ再建にあたり、先ず手始めに着手したのが治安が悪い地区を取り壊し治安回復に努め、水不足に悩まされていたテルミネ周辺にアクワ・フェリーチェを引き水不足を解消しています。

また、この教皇はローマに訪れる巡礼者のために各地域の教会を巡りやすいように道路網を整備。重要な教会前には目安となるオベリスクを次々と建てて行きます。1586年のサン・ピエトロ大聖堂前のオベリスク建立を皮切りに、1587年にはサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂、1588年サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂、ポポロ広場にあるオベリスク建立。

目立った建築物としては、サン・ピエトロ大聖堂の天蓋(ドーム)や、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂のシクストゥスのロッジア、サンタ・マリア・マジョーレ大聖堂のチャペルの建設。シクストゥス5世は、教皇在任中の1585年~1590年の間に上記の様な大改造を行い、教皇領としてのローマの威光を高めています。



Espressoのブログ
ローマ観光ですが、ヴァティカンにあるシクストゥス5世の間を訪れた後に市内を観光すると感慨深い旅行になるかと思います。シクストゥス5世の間には、新教皇に選ばれた時の戴冠式のパレードを描いた壁画があるのですが、そこには白馬に乗った凛々しい少年4人の姿が描かれています。

天正遣欧使節
この少年4人は1585年に日本からローマへ赴いた天正遣欧使節で、教皇グレゴリウス13世に国賓待遇で迎えられポポロ門からローマに入市する際には歓迎の礼砲300発が轟くほど当時のカトリック教会にとって歴史的な出来事でした。

教皇グレゴリウス13世
グレゴリウス13世は、天正遣欧使節が訪れた数週間後に亡くなるのですが、この使節の人気は大変なもので、新教皇に選ばれたシクストゥス5世の戴冠式のメイン・ゲストとして天正遣欧使節の4人を参列させています。ヴァティカンにあるシクストゥス5世の間へ訪れる日本人は素通りしてしまう方が多いのが残念です。因みに、天正遣欧使節が日本に帰国し秀吉に披露したのが下記のジョスカン・デ・プレの曲で、秀吉は3度もアンコールをしたそうです。



絵画や壁画には、想わぬ出来事が隠されているので少し知るだけで楽しみは数倍になるかと想います。