太陽王ルイ14世とバロック芸術の巨匠ベルニーニについて | Espressoのブログ

太陽王ルイ14世とバロック芸術の巨匠ベルニーニについて

ルーヴル美術館ガラスのピラミッド正面の右側ドゥノン翼(セーヌ側)に、ルイ14世の騎馬像(ブロンズ像)があるのですが見ていると多くの方がこの像を素通りされるので、今回は、この像に纏わる太陽王ルイ14世とバロック芸術の巨匠ベルニーニについての話です。

ルーヴル美術館ガラスのピラミッドルイ14世の騎馬像

今でこそ、花の都パリを代表するルーヴルですが、ルイ14世(Louis XIV 1638 - 1715)時代のルーヴルはまだまだ宮殿と呼ぶには今一のようでした。ルイ14世は、ルーヴルの改築を1664年にイタリアのバロック芸術の巨匠ベルニーニ(ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ:Gian Lorenzo Bernini 1598 - 1680)に依頼しています。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニベルニーニ作の大理石像

ベルニーニといえば、当時のローマ教皇ウルバヌス8世から「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛されていたほどの芸術家です。ベルニーニが、ルイ14世からルーヴル宮の改装を依頼された時は、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂前のサン・ピエトロ広場(Piazza San Pietro)の設計と工事に加え、サン・タンジェロ橋の改修工事を請け負っている最中でした。

サン・ピエトロ大聖堂サン・ピエトロ広場
ヴァティカン、サン・ピエトロ大聖堂とサン・ピエトロ広場

サン・タンジェロ城ベルニーニ作サン・タンジェロ橋の石像
サン・タンジェロ城とベルニーニ作サン・タンジェロ橋の石像

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ


ベルニーニは、ルイ14世の依頼をうけてフランスに赴くのですが、ベルニーニの眼に映ったフランスは文明後進国の姿で、彼が仕事を請け負うにはステージが異なる印象を持っていたのですが、それでも建築プランを提出しプランの最終承認待ちの間には、ルイ14世の胸像や騎馬像の制作を行ったりしていました。

ルイ14世の騎馬像ルイ14世の肖像
ルイ14世の騎馬像と肖像画(肖像画の作者はベルニーニではありません。)

ベルニーニが制作したルイ14世の胸像と騎馬像には逸話があって、胸像が完成した時に「この像は美しいが、実物は醜悪そのものだ」と言い放ったそうです。事実かどうかは不明ですが、ルイ14世の侍医が病気を恐れるあまり彼の歯をすべて抜歯してしまったようで、胃腸が弱く栄養が行きわたらずルイ14世は小柄で絶えず下痢をしていたそうで、慢性的な下痢に加えフロにも入らなかったので悪臭を放っていたとか・・・案外ベルニーニの言葉は的をえているかも。

ヴェルサイユ ルイ14世像


ルイ14世の騎馬像には次のような逸話があります。騎馬像はベルニーニの存命中、フランスに引き渡されることはなく、彼の死後ようやくヴェルサイユに運ばれています。楽しみにしていた騎馬像をみたルイ14世は、一目見た瞬間に破壊するように家臣に命じたそうです。作品の出来ばえが良く破壊を惜しんだ家臣は、彫刻家のフランシス・ジラルドンに命じて馬体の下には炎、羽飾りつきのヘルメットをつけたブロンズ像(古代ローマ伝説の英雄マーカス・クルチウス)につくり直したそうです。

ルーヴル美術館にあるルイ14世の騎馬像はレプリカですが、ルイ14世とベルニーニの話は面白いので是非立ち止まって見てください。この外にも、ガラスのピラミッドを取り囲むように2階部分には芸術家86人の石像が並んでいます。これらの芸術家たちにも面白いエピソードがあると思いますので調べてみられると良いかと存じます。

ルーブル 芸術家像