純白の薔薇 Youki San(Madam Neige) | Espressoのブログ

純白の薔薇 Youki San(Madam Neige)

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純白の薔薇 Youki San は1965年にフランスのメイアンが作り出した四季咲きのバラですが、このバラはメイアンがある日本の女性を想い Youki San という名をつけました。バラの名前にはそれぞれにエピソードがあり、花を楽しむとともにその名の由来を調べると時代背景やロマンスなどが知ることが出来ます。バラ園に訪れた際には、気に入ったバラの名前を控えてエピソードなどを調べると楽しみが倍増すると思います。

私と Youki San のバラの出会いは、今から約45年前に父親がこの女性の連載記事を書いていたので今でも鮮明に覚えていますし、このバラと出会ってなければ河津のバラ園の話は引き受けていなかったと思います。

Youki San は、明治30年頃(20世紀初頭)に祇園の芸妓で胡弓の名手とうたわれたお雪さんがモデル。この女性には俊介という愛した男性がいたのですが実らぬ恋に終り、この雪さんに一目惚れをし、ピストルで自殺未遂をするほど恋焦がれてたのがJ・P・モルガン(ジョン・ピアモント・モルガン)の甥ジョージ・デニソン・モルガン氏で、雪さんは彼の情熱に打たれて明治37年1月に横浜で結婚。2月に渡米します。

ニューヨークのジョージの自宅では、ジョージの父親は二人を祝福し、はじめのころ、つむじをまげていたジョージの継母サラ・エリザベートも彼女に会うなり大よろこびしました。その後二人はヨーロッパに渡り幸福な時期を過ごすのですが、第一次世界大戦のさなか夫ジョージはスペインで病死、雪さんは夫の面影を抱いてフランスで過ごていたのですが、国籍の問題から雪さんは昭和13年に帰国。京都の北区紫野門前町で昭和38年5月18日に亡くなるまで静かに暮らしていました。

フランスのバラ育種家メイアンは、雪さんがニースで暮らしている時に何らかの形で出会っていたのでしょう。雪さんの没後、京都・東福寺山内の同聚院にある雪さんの墓前に彼女をモデルにした薔薇『 Youki San 』を贈っています。

私が高校生の頃、父に連れられ同聚院を訪ねた時は雪さんの墓前に純白の薔薇 Youki San が植えられており、お雪さんの数奇に富んだ人生を日本人は忘れさり、フランス人のメイアンは覚えていたことに感動したことを今も忘れていません。

久しぶりに、東福寺山内の同聚院を訪ね、雪さんの墓前や嵯峨の祇王寺の高岡智照尼(この方も父の取材でお会いしました。高岡さんについては又後程。)の墓参りをしようと思い立つこの頃です。

祇王寺公式サイト

晩秋の京都にあう曲はこんな感じでしょうか