死者を出した原発事故から26年 | ☆ワシの終活☆

死者を出した原発事故から26年

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

これは11年前(2014年)の記事

原発事故と言えば、2011年の東日本大震災の福島第一発電所の事故を思い出す人がほとんどだと思う

でも、死者が出た原発事故を覚えている人はいるだろうか?

「JCO臨界事故15年 東海村 死亡2作業員に黙とう(茨城新聞より、2014年10月)」

茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で起きた国内初の臨界事故(1999年)から9月30日で、17年を迎えました

国内の原子力開発史上初めての犠牲者を出し、「原子力安全神話」が崩れたと指摘された大惨事ですが、風化もささやかれるようです

同村の山田修村長は11年前(2014年)この日、職員約150人を集め、「原子力関係者にはあらためて安全が何よりも優先することを肝に銘じてほしい」と語ったようです

他県の人にとっては、2011年の東日本大震災での福島第1原発事故が日本最初の大惨事と思っているかもしれない

しかし、茨城県民にとっては、1999年9月30日に起きた東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で起きた国内初の臨界事故が初の大惨事として記憶していることだろう

事故は1999年9月30日に起きました

JCO東海事業所の転換試験棟でウラン溶液の混合作業中、規定を大幅に上回る量の溶液を沈殿槽に投入したため、核分裂反応が連続する臨界が発生

沈殿槽は「裸の原子炉」となり、約20時間にわたって中性子線を放ち続けました

この結果、「作業員2人が死亡」、住民ら660人以上が被ばく

村独自の判断で、半径350メートル圏内の住民に避難要請が行われました

国際原子力事象評価尺度による評価はレベル4で、福島第1原発発生まで国内最悪の原子力事故だったのです

国や行政の対応の遅れも問題視され、この事故をきっかけに原子力災害対策特別措置法が制定されました

福島第1原発でさえ、直接、放射能汚染での死亡が無かったことと比べると、作業員2人が死亡を出したこの事故は、いかに恐ろしい状態だったかがわかると思います

救助活動も、放射線に対する知識不足を露呈するぐらいお粗末なものだったと思います

この事故があったこともあって、福島第1原発の事故は放射能による死亡者が無かったのではないかとも思ってしまいます

犠牲に上に科学の発展があると言う人もいますが、やっぱり、人類は核分裂反応(核融合も含む)に対する知識不足だと思ってしまいます(多分、専門家は反論すると思いますけどね…)

1999年9月は、1歳の次男が都内で口蓋裂の手術をした月でもあるので記憶にあります

事故現場から自宅は70km離れているので、中性子線が飛んでくるとは思いませんでしたが、ニュースを見た瞬間、子供達の身の安全をどうするか考えてしまいました

それからさらに12年経って、さらに140km離れた場所で福島第1原発の事故が起こり、今度は放射性物質が飛散して来ました

福島第一原発の事故で、原発の対する不測の事態の対策は、高まったかもしれません

でも、今の人類の知識と技術では、まだまだ、それを実生活に取り込み使いこなすには、知識不足だと思います

原発を再稼働されている現在、人々が忘れた頃に、また、何か起こりそうな気がしてなりません