予科練
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
今年も、この時期、同じ記事を書きます。
自分の住む町の周辺には、陸上自衛隊武器学校、陸上自衛隊武器補給処、陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地霞ヶ浦飛行場、防衛省技術研究本部試験場などがあります。
(武器補給処には、昔、仕事で何回も出入りしていました)
そして、古くは東洋一の航空基地と言われた霞ヶ浦海軍航空隊が設置された場所でもあります。
言うなれば、昔も今も軍事設備の拠点のひとつなのかもしれません。
そのせいか、戦時中は、米軍の爆撃目標になりました。
1945年6月に空襲があり多くの町民も亡くなったそうです。
霞ヶ浦海軍航空隊には、良く知られている「予科練」も含まれていました。
「予科練」とは、「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称を言います。
14才から17才までの少年を全国から試験で選抜し、飛行機の搭乗員としての基礎訓練をするものです。
「予科練」と聞くと、「特攻隊(特別攻撃隊)」と連想する人もいらっしゃるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。
飛行予科練習生制度が始まって、終戦までの15年間で、約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習課程を経て戦地へ赴きました。
その中に特別攻撃隊として出撃したものも多くあります。
約2万4千人のうち、戦死者は8割である約1万9千人にのぼったということです。
(「予科練平和記念館」資料より)
予科練生は、今でいう中高生と同じ年代。
予科練生は死と向かい合わせの戦いのための訓練をし、一方の今の中高生はどうでしょう?
時代が違うだけで、これほども違うものでしょうか?
子供を持つ親として、もし、我が子が、予科練に入る、或いは入らねばならないとなったらどうでしょうか?
「お国のために頑張ってこい!」などと、軽々しく言えない自分が想像できます。
忘れてはいけない歴史であることは間違いありません。
町には、予科練の記念館として、「予科練平和記念館」があります
その「予科練平和記念館」に隣接して、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校の「雄翔館」も入ることができます。
そこには、特攻隊として出撃された方々の遺書が展示されています。
多くの文が、達筆で、いかにも軍人と言った綺麗な文章なのでした。
しかし、彼等の文中には「テヘッ」や「アハッ」という言葉が使われていて、今の若者と変わらないではないかと思わせる文があり、ハッとさせられました。
何故に、彼らはこんなに気丈に、文を書くことができるのだろう。
かれらの未来には「死」しかなかったのに…。
「予科練平和記念館」を一歩でるとそこには平和の日常があります。
そんな平和ももろいものだと思います。
二度と戦争をしてはならない。
子供達を犠牲にしてはならない。
平和ボケ(無知・無関心)にはなってはならない。
そう思います。