あなたの一番大切な人は? | ☆ワシの終活☆

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まずは、家族、そして、親戚、そして、そして……
今年もまた「3.11」をふり返る

フラッシュバックがあるので、あまりふり返りたくないのですが…

でも、あの時のことを忘れないように、毎年、同じ記事を繰り返したいと思います

(去年の記事を引用しました)

 

2011年の今日はこんな天気でした

 

当時の携帯の天気予報メールより

2011年

■3/11(金)

降水確率20%

11℃(+2)/-2℃(-3)

最高/最低(前日比)

午後は『曇って』来ますが、日中は平年並まで気温が上がり、寒さは少し和らぐでしょう

花 粉:■■■■□

└非常に多い

快 適:■■■□□

└快適

紫外線:■□□□

└まあ大丈夫

洗 濯:■■□

└乾きにくい

 

外は曇っていて、風が強い日だったことを覚えています

 

地震が起こった時、意外に冷静な自分であったと思います

揺れの大きさには驚きましたが…(まさか、三つの地震が連動しているとは思いませんでした…)

本震が収まった後、身の回りのチェックや、家のチェック、そして、その後に必要なもののチェックを迅速に行うことができたと思います

でも、家族や親との連絡がなかななかできなかったのは不安でした

 

この日、故郷広島ではマツダスタジアムでGとカープがオープン戦をやっていました

揺れはどうだったかわかりませんが、結果は、6対12のボロ負けだったと思います

そんな結果を知る余裕は、その時まったくありませんでした

ともかく、次々押し寄せてくる余震に家族全員で(このときは長男がまだ帰宅していませんでした)怯えていたと思います

茨城県南部ですらそんな感じでしたから、宮城・岩手・福島の人たちはもっと恐ろい思いをしていたのだと思います

 

恐ろしいほど多くの「震度情報」、「津波警報・注意報」が、携帯に配信されていたのを知ったのは、その日の夜遅くでした

そして、最悪の事故を招いてしまった福島第一原発の情報は、原子力安全・保安院からの「地震による原子力施設への影響」として携帯にメールが配信されていました

普段から、原子力安全・保安院からの情報はメールで受けれるようにしていました

(メールはサーバーに溜まっていて、リクエストをしない限り取り込めませんでした)

でも、そのメールには危機的なことは一切書かれていませんでした

(実際にはメルトダウンが起こりかかっていたというのに…)

深刻な情報を伝え続けたのはテレビだったと思います

 

この日の23時00分に配信された第7報でようやく

「○原子力安全・保安院等の対応

14:46 地震発生と同時に原子力安全・保安院に災害対策本部設置

15:42 福島第一原子力発電所1、2、3号機にて原子力災害対策特別措置法第10条通報

16:36 福島第一原子力発電所1、2号機にて事業者が同法第15条事象

発生判断(16:45通報)

18:08 福島第二原子力発電所1号機にて原子力災害対策特別措置法

第10条通報

18:33 福島第二原子力発電所1、2、4号機にて原子力災害対策特別措

置法第10条通報

19:03 緊急事態宣言

20:50 福島県対策本部は、福島第一原子力発電所1号機の半径2kmの

住人に避難指示を出した。(2km以内の住人は1864人)」

と言うことが書かれていました

 

はっきり言って、この日、原発の被害の動向が気になって眠れませんでした

この日、電気が復旧した直後に残した手記がありますので、再度、公開しておきます

 

午後2時過ぎ、ものすごい地震が起こった

パソコンの周りのものが次々と落ちてきた

いつもならすぐにおさまる地震がおさまらず、どんどんひどくなった

そして、これが大変な大地震であることをラジオをつけてわかった

すぐに停電となり、断水ともなった

次男は?かみさんは?長男は?

揺れていたのは数分間か?

おさまった状態で、その他の部屋を調べていたら、長男の部屋も次男の部屋もものが散乱していた

ラジオを聞いていると、東北で10mの津波が押し寄せたと言うニュース

この地震は三陸沖の地震らしい

最初ニュースで流れた地震規模はマグニチュード7.9

それが、8.4となり、最終的には8.8と言うことになる

なんと、日本観測史上最悪の規模になってしまった

茨城では震度6強だったようだ

その後、茨城沖でマグニチュード7.4の地震が誘発された

まずはかみさんから携帯がかかってきた

そして、職場から自動車で帰ってきた

その後、次男が小学校から保護者の方に連れられて帰ってきた

長男は連絡が付かず

停電・断水なので、水の確保と懐中電灯のチェック

そして、逃げる通路を確保

地震がおさまったところで、家の外に出て家の状態を確認

亀裂・地割れが無いことを確認

家の内部を確認して、亀裂の無いことを確認

家はとりあえず無事であることを確認

(自分はなぜこんな行動をすぐとれたのか?それは2001年広島市・呉市で起こった芸予地震で実家が震災し、地割れが起こり、家が傾いて、玄関や窓が開かなくなった経験があるからなのです。今回の地震は、芸予地震の経験がいかされました)

水は風呂の水が少し残っているので、大を流すときに使用

小をしたときは流さないことにした

冷蔵庫のものをチェック

日持ちしないものを、最初に食べることにする

携帯コンロを用意

ガスが復旧するまで、携帯コンロを使用することにする

夕食は、残りご飯を3人で食べる

広島(母)からは、かみさんの携帯に電話があった

自分の携帯にも電話があったが、出られなかった

夕食中に長男から電話

でも、電話が故障していて出れなかった

無事だと言うことがわかった

学校(高校)で夜を明かすのか?

食事が終わって、そして、何もする事がないので、午後8時ごろ寝床につくことにする

午後10時頃、電気が復旧

広島(母)から電話がかかってきた

そして、長男も先生に車に乗せてもらって帰ってきた

一安心

 

(2015年の記事)

最後に、2011年3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)においてお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます

いまだに見つからない行方不明者が早く見つかりますように

災害は、岩手県・宮城県・福島県の被害が大きく報道は三県に集中していますが、その周りの青森県や茨城県そして千葉県もいまだにその傷跡が残っていて復旧が遅れています

復旧が早く進みますように

そして、福島第一原発

福島の子供たちに甲状腺がんが発生しませんように

汚染水の問題が早期解決しますように

これからはストロンチウム汚染が非常に気になります

「内部被曝の第二ステージ、「ストロンチウム90汚染」(2015年)のネット記事より)

一昨年(2015年)2月、今まででもっとも高い1リットル当たり2億4千万ベクレルのストロンチウム90の高濃度汚染水約100トンが海洋へ流出しました

その影響は?

ストロンチウム90をごく少量、体内に取り込んでも、セシウムのようにうまく排出されないので、主に骨にどんどん溜まっていきます

ストロンチウム90は、ベータ線、ガンマ線の両方を放射するセシウム137、134とは違って、ベータ線しか放出しません

国や大学の高性能検査機でもなければ検査できないのです

ストロンチウム90の半減期は約28年です

ストロンチウム90が食物や呼気から体内に入り込んでしまうと、骨の形成部に取り込まれてカルシウムに置き換わることによって骨肉腫や白血病を引き起こしたりします

日本では、神奈川県横浜市までストロンチウム90が飛んできたことが分かっています

途中の茨城、栃木、千葉、東京などにもストロンチウム90が舞い降りたということです

一体、ストロンチウムはどうなっているのか?

もはや祈るしかないのか?

(2015年の記事を引用しました)