(戦争と平和1609)今日はいとこの誕生日
今日(2月24日)はいとこ(父方の叔父の子供)の誕生日(1976年生まれ)
彼女は、故郷広島を離れて、長崎に嫁いで暮らしています
以前はよくメール交換したものですが、最近はしていません
どうしているかなあ?
子供は大きくなったかなあ?
お誕生日おめでとう
(ここからは毎年、ほぼ同じ文章)
彼女のいる長崎市は自分にとって懐かしい街です
今から二十数年前、福岡に転勤したとき、長崎も仕事でよく訪れたものです
その後、茨城県の工場に戻っても、仕事で長崎を訪れることになりました
工場では技術職だったのですが、転勤後は主に営業・保守の営業職でした
長崎は、県や市の山崩れ警報装置の契約そして設置と保守の仕事をしました
そして、大学の研究機関との仕事で、地震関係の装置も保守してました
1990年の普賢岳の噴火の時も、現地の気象庁の測候所や大学の研究所に出入りしたものです
でも、工場に帰って、再び長崎を訪れた時は、それが軍事関係の仕事(兵器開発)に変わりました
長崎市内での仕事なのですが、狭い町でも平和産業と軍事産業が混在しています
営業時代は平和産業の製品で、そして工場時代は軍事産業の製品を長崎の同じ企業で、お世話になったのです
そんな会社が長崎市内にあります(大手企業なので、多分想像できると思います)
そんな長崎市は戦時中に米国軍のターゲットになりました
そうです、71年前の8月9日11時3分、原爆(ファットマン:プルトニウム型、ちなみに広島市に落とされた原爆はリトルボーイ:ウラン型)が落とされました
原爆投下時の面影は、71年たった今は感じられないと思います
グラバー邸、大浦天主堂、諏訪神社、出島…、西洋と東洋の接点でもあった長崎
坂本龍馬率いる海援隊の拠点でもありましたね
残念ながら、戦争中は、軍艦を作る造船の町でもありました
戦艦「大和」の姉妹艦である戦艦「武蔵」が造られたのはこの地です
(戦艦「大和」が造られたのは自分の故郷である広島市の隣の町呉市です)
その後、長崎市は原爆の被害以外、中心地(繁華街)である思案橋が1m以上もの水に浸かってしまう災害(土石流)にあっています
自分はその災害に対する防災設備の設置工事(土木作業)で長崎を何度も訪れました
その時、長崎の原爆について同時に勉強もしました
(長崎の平和公園や原爆資料館は当然見に行きました)
広島市出身であり親族に被爆者を持つ自分だからそれができたのかもしれません
もし、他県の人間だったら、原爆すら気づくことはなかったかもしれませんね
原爆について何も知識のない茨城県出身のかみさんも新婚旅行の時に長崎の原爆資料館に連れて行きました
(当然、広島の平和公園や原爆資料館もかみさんと子供達を連れて行っています)
災害や被害は、テレビや新聞、写真で見ても実感がわかないと思います
それが人間かもしれません
実際にその地に行って、そして、感じるしかありません
人間は病気でも事故でも、自分で体験しないと本当の危機感が湧いてこないかもしれません
でも、今の自分たちは、少しでもそれを感じることが必要だと思うのです
メールやホームページやブログで、すべてが伝わるとは思っていません
でも、感じてもらえれば、興味を持ってもらえれば、まず、一つハードルを越えることはできます
何も言わないよりはいいよね
無知・無関心が一番怖いのです
平和ボケにならないでください
(去年・一昨年・3年前・4年前・5年間・6年前の記事を引用しました)
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最後までお読み頂き
ありがとうございます♪
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そして、今日誕生日のすべての人へ
お誕生日、おめでとうございます!!
これからはじまる一年が、健やかな日々でありますように。
そして、今日あることに、みなさまのご先祖様に感謝し、明日が素晴らしい日々でありますように、祈っております
(* ̄Oノ ̄*)
